クラシック愛好家を自認するだけあって、歌謡曲(流行歌)なる分野には殆ど興味がなかった。どちらかと言えば、アメリカンポップスなどの外国ポピュラー曲を好んだ。子供の頃のレコード盤は、外国録音を洋盤(洋楽)、国内録音を邦盤(邦楽)と呼ばれて明確な区分があった。外国ポピュラー曲を国内歌手がカヴァーした場合は当然邦盤。外国歌手が日本語で歌った海外盤なら洋盤というわけだ。
従い、坂本九『上を向いて歩こう』が、『スキヤキ』との別名で米国ヒットチャート第一位になった時、逆輸入されたドーナツ盤は洋盤に分類されている。ビートルズを筆頭とする英国ロックバンドによる所謂〝リバプールサウンド″が勃興すると、我国ではエレキブームが到来する。当初はヒマな大学生によるアマチュアバンドが大半であった。当時、外国風味の純国産曲は〝和製ポップス″とかフォーク系は〝学園ソング″と呼ばれて一般の歌謡曲とは区別されていた。
和製ロックバンドが「グループ・サウンズ(略称「GS」)」と呼ばれるようになったのは、確か昭和42年(1967)頃からだと記憶する。このエレキ或るいはGSブームは、おのれの青春期、即ち大学生活期(昭和41年4月~昭和45年3月)とほぼ一致する。先述のように、流行歌など全く興味がなかったものの、社会現象にまでなったほどだから、ラジオ・テレビ・有線放送などの媒体を通して否応なく耳にしてきた。
エレキブームの勢いは凄まじく、演歌の女王と呼ばれた美空ひばりでさえ、ブルーコメッツを従えてミニスカート姿で『真っ赤な太陽』(昭和41年)を遺したほどである。
エレキブームを牽引した一人に加山雄三がいる。手兵ランチャーズを始め、同じ東芝レーベルのワイルドワンズなどを率いて、数々のヒット曲を産み出した。個人的に好きな『二人だけの海』(昭和42年)を聴いてみよう。
「グループ・サウンズ」以前の和製ロックバンドを牽引したのは、ブルーコメッツ、ワイルドワンズ、ヴィレッジシンガーズ、サベージ、スパイダースらである。GS絶頂期の人気バンド、タイガース、テンプターズ、ゴールデンカップス、オックスらは西洋中世騎士風の奇抜な衣裳と甘い歌声で若い女性を魅了していたが、聴衆に媚びるような演奏スタイルが嫌いだった。英国のロックバンド(通称「リヴァプールサウンド」)も、ローリングストーンズやアニマルズといったハードロック系の不良っぽいバンドは嫌いで、ネクタイにスーツ姿のきちんとしたデイヴクラークファイヴらのスローバラード曲を好んだ。。
ビコーズ(Because) by デイヴクラークファイヴ(Dave Clark Five)
そんなわけで、好んで聴いたGSバンドがヴィレッジシンガーズである
亜麻色の髪の乙女(昭和43年)
by ヴィレッジ・シンガーズ
関係ないが、ドビュッシーのピアノ前奏曲に同名曲がある。なお、女性のGSバンドも皆無ではなかったと思うが、まったくヒットしなかった。その代わり、GS風味の女性歌手はいた。その代表格が黛ジュンである。右翼作曲家黛敏郎を尊敬し、それを芸名にしたという変わり種。クラシック曲『乙女の祈り』(パダジェフスカ作曲)とは真逆の曲調ながら、題名をパクった録音もある。
乙女の祈り(昭和43年)
by 黛ジュン
まあ、好き嫌いは別として、ロックンロールのリズムが身に染みついているので、感覚的に受け容れやすいのは間違いのないところだ。
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