西洋古典音楽(クラシック)に関して、邦人演奏家の欧米進出に比べると、国際的な邦人作曲家は皆無に等しい。古くは瀧廉太郎や山田耕作、戦後は團伊玖磨、武満徹、黛敏郎、芥川也寸志などが居るが、亜細亜ではともかく西洋で知られた作曲家とは言い難い。
怪獣映画で有名な伊福部昭も、「ゴジラ」の映画音楽で知られていても、本業のクラシック作曲家としては未だ無名に近い。
伊福部昭作曲;古典風軍楽『吉志舞』(1943年完成)
by 汐澤安彦指揮東京音楽大学吹奏楽団(2003年録音)
日米開戦以後、「非軍楽隊系作曲家」が軍楽隊に曲を捧げる、あるいは軍楽隊でも演奏されることを意識しつつ民間の吹奏楽団のために曲を書くということが、音楽家を構成員とする「体制翼賛団体」だった音楽文化協会、日本放送協会、諸々の新聞社等々の肝煎りによって急激に増えてゆく。この《吉志舞》もそうした時代背景から生まれたもので、1943年2月に完成した。同年4月8日、服部逸郎指揮東京放送吹奏楽団によりJOAKから放送されたのが、初演ではあるまいか。作曲者の記憶によれば海軍からの委嘱ということになるが、サックス類を多く含みフランス風ともいえるその編成はむしろ陸軍軍楽隊を意識しているようで、初演以後もJOAKで繰り返し放送吹奏楽団がやっているから、軍楽隊でも出来る音楽をとJOAK絡みで委嘱されたのかとも考えられそうである(JOAKが委嘱した新作を放送局お抱えの吹奏楽団ばかりでなく陸海軍軍楽隊が放送で演奏することもあった)。とにかく伊福部はこの作品で、近代西洋風なミリタリー・マーチのイメージを避けた「民族主義的軍楽」を狙っており、そういう意図は、日本神話に兵士の舞として名のみ記録されているが、音楽としては伝承されていない「吉志舞」を曲名としていることに端的に現れている。言わばこの曲は伊福部によって仮想された古代日本のミリタリー・ダンスである。
音楽はABACAというロンド風の構成をとり、同時期の管弦楽《兵士の序楽》に近しい響きを有している。またBの主題は、戦後、伊福部がさかんに手掛ける映画音楽の分野で、怪獣映画に於ける自衛隊のマーチとして用いられることになる。
なお、作曲者の記憶によれば、この作品は1945年8月30日、マッカーサーの厚木到着時に、日本側によって歓迎の音楽として演奏されたという。
(片山杜秀、KICC-407~8『黒船以来 ~日本の吹奏楽150年の歩み~』解説書より
~YouTube 当該ページより~
吉志舞(きしまい)とは大嘗祭などで、安倍氏の当主等が監督して、闕腋袍(けってきのほう)等、主に武官の服装で、踊られた舞楽。 吉師舞、吉士舞等とも表記される。舞い方自体は伝承されていない。楯節舞(たてふしまい:楯伏舞、楯臥舞等とも表記)と同じものと考えられる。 伝説では、神功皇后が新羅征伐後、凱旋し、安倍氏の祖先によって、大嘗祭で踊られたものであるという。 また、住吉大社には、神功皇后帰還の時、出迎えた、現在堺市にある七道浜の住人が、傘を被って踊ったものが起源であり、住吉踊りはこの伝統を継承している、との伝承がある。
吉師とは大和朝廷にて外交や水軍などに関係した氏族を指し、渡来系のものが多かったという。安倍氏は吉師と関係があった。
~「ウィキペディア」より~
後年、この曲をベースに所謂『怪獣マーチ』が作曲されている。
『怪獣大戦争マーチ』
東宝映画『怪獣大戦争』(1965年)オリジナルサウンドトラック
軍楽と映画音楽の限界からか、日本情緒に乏しいのは止むを得まい。和(民族)楽器が加わると違うのだろうが・・・。
伊福部昭『日本狂詩曲』(1934年完成)
by 山田一雄指揮/新星日本交響楽団(1990年録音)
山田一雄(本名;和男/1912-1991年)は、戦前からの指揮者兼作曲家。「ヤマカズ」の愛称で親しまれ、朝比奈隆(1908-2001年)と並び、魂(こころ)で演奏する芸術家タイプであった。飛んだり跳ねたりの指揮振りは派手で、勢い余って指揮台から転げ落ちたこともあるとか。迸る情熱が楽器の音色に乗り移り、聴く者を昂奮させる。この曲に和楽器は入っていない(失礼!小和太鼓あり)が、真の芸術は、民族性など超越する。西洋的であろうと日本的であろうと、粋で鯔背な江戸っ子ヤマカズ。佳いモノは佳いのだ。
マーラー「巨人」最終部分
by 山田一雄指揮/讀賣日本交響楽団
こんな気合の入ったマーラーを聴いたことがない。マーラーの愛弟子ワルターも真っ青である。マーラーとワルターは民族性(ユダヤ人)で繋がっているが、マーラー死の翌年生まれヤマカズは、魂で結ばれているということか。
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