西武、5日遅いキャンプインも活気
松井監督の意図が選手たちに十分、伝わっている
2/6(火) 18:00配信/日刊スポーツ電子版
西武のキャンプは非常に活気があった。全体練習でも声が出ているし、打者のスイングの強さ、スピード、インパクトの音など、仕上げてきた印象を受けた。他球団と違い、この日が初日だったが、そういう感じはしない。選手は通常2日目ぐらいまでは探り、探りで動くものだが、個々がオフの間も自分の課題に向き合ったから、初日からしっかり動けるのだろう。
2月1日キャンプインが球界の定番の中、2年続けて5日遅いスタート。松井監督に聞いたら、遅らせることで選手は1月いっぱい、自主トレに集中できるメリットを挙げた。2月1日キャンプインだと、1月末は準備に追われるからだ。
西武のキャンプのもう1つの特色に、実戦が遅いことがある。日本ハムが3日に紅白戦を行ったように、早めに実戦をやる今の風潮とは正反対だ。全体練習の後の個人メニューもみっちり入っている。とにかく練習を積んで下地をつくり、次の段階に入るという考え。昔ながらのキャンプという感じだ。どちらがいい、悪いというものではない。松井監督は、ぶれずに自分の考えに基づいてやればいいと思う。
他と異なる方法をとると、あれこれ言われがちではある。逆に結果を出せば、何も言われなくなる。私の現役時、中日落合監督は就任1年目の04年にキャンプで6勤1休を導入し、さらに初日に紅白戦を行った。前年の11月に計画を聞いたときは正直「うそでしょう」と思った。だが、そう言われた以上、オフに準備を続けた。また、6勤1休はシーズンの日程に2月から体を慣らすためという意図を聞かされ、納得できた。その年に中日は優勝した。
キャンプの進め方には、監督の意図がいろいろと込められている。大切なのは、選手が理解できているか。その点、キャンプ初日の動きを見ると、西武の選手には十分に伝わっていると感じた。
谷繁元信(日刊スポーツ評論家)
コメント総数;8件
一、
他所と同じように2月1日からやった方が良いと思うけどなあ。
伊原春樹も遅めの調整で失敗したイメージ。
もう今はアスリートはほぼ休みなく、丸一年トレーニングする時代なのに。
投内連携とかの詰めが甘くなりそう。
二、
他球団と同じがいいと思う時点で、考えることをやめている。昭和の考えをやる必要はない。
いろいろと考え、頑張って欲しい。
今年は、優勝を見られることを期待している。
三、
そういや、
谷繁さんが即席コーチに
なったんは昨年でしたっけ?
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この時期(シーズン・オフ)のプロ野球なんてドラフト会議を除いて何の興味もなかったが、今ストーブリーグでは我がライオンズが何かと話題となったので、否応なくニュースを追う羽目になってしまった。自分はセパ・二リーグ制発足時からの野球狂なので、古いタイプに属するから、当世若者たちとはかなり考え方が異なる。
どうでもいいけど、西鉄から太平洋クラブ→クラウンライターを経て西武になったときのホーム・ユニフォーム色が白地にライトブルー(水色)だったことから、これをして〝ライオンズ・ブルー″と呼ぶのだそうな。これに対し、2009年から現在も白地に紺色を採用している。球団によると西鉄の黒色と西武の水色を融合させた"レジェンド・カラー″なのだとか。因みに西鉄のホーム・ユニフォームの花文字ロゴは確かに黒色だったが、生地は白色でなく生成色≒クリーム色で、ナイター照明のカクテル光線に映え、ほんのり桜色に煌めいて見えた。
【生成色】-きなり・いろ-
JISの色彩規格では「赤みを帯びた黄みの白」としている。一般に、染色せず、さらしてもいない糸や布地の色で、わずかに黄色みがかった白。WEBカラーコード;#F7EFE3
ところで、「コメント;二」を読んで、昭和を小バカにしたような内容にカチンと来ると同時に、小学校時分の卒業文集を想い出した。
御卒業おめでとうございます。
早いものですね、あれからもう三年もたってしまったとは。今はみなひょろひょろのびて最上級生になりすましているけど、あの頃(三年生時分)はずいぶんちびだったですよ。がやがやわあわあ言って全校で一番あばれんぼうだった。
それがもうすぐ中学生、楽しみなような、そして又何となく不安な気持でいられることでしょう。人生の一つの区切りとして、新しい気持で卒業入学を有意義な物にしていただきたいと思います。
「人間は考えるあし(葦)である。」といった人があります。今のような科学が発達し考えなくても生きていける世の中で、やはり人間らしく生きることは考えることだと思うのです。どんな時でも、最後まで真面目に考え抜く人、こんな人になっていただきたいと思います。
転載文中の箴言はフランスの物理学者パスカル(1623-62年)が発した言葉。半世紀以上経た後年、ネットで調べて知った。この転載文は、三年生時分(自分は四年時転入)から持ち上がりで学年担任を務めた若い女の先生で、五年生の時に姓が変わっている。学級担任ではなかったが、四年時は音楽、五・六年時は家庭科を教わった。決して叱ったり体罰を加えたりしない優しい先生だったので我ら男児は付け上がり、悪戯の限りを尽くしたのだが、敵も然る者、授業でしっかりしっぺ返しを喰らった。
自分しか知らぬ昔話がしたかったわけではない。何でこれを引き合いに出したか? 〝今(現代)″という言葉の意味である。現在を生きている自分は、老いたりとは言え紛れもなく現代人である。では64年前の小六時、自分は過去を生きていたのか。さに非ず、あの頃も時代の最先端(つまり現代)を生きていたのだ。先の大戦を経験したであろう先生の文章の心(ウラ)には「恵まれた環境に甘んじるな」という戒めが籠められているように思う。「二」のコメント者の年齢は不明だが、過去(伝統)を否定する前に、どうすればいいのかの本質を語るべきだろう。
野球という文化も、昭和→平成→令和と時代が移るにつれ、変わらぬようで微妙に変化しているのであろう。それが「歴史」たる所以なのだ。
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