カンタータ第82番
《我は満ち足れり》
-マリア潔めの祝日(2月2日)用-
例によって、この基督教祝日の意味は知らないが、純音楽としても生命力が甦るような不思議な神通力(?)を秘めた曲である。せっかくだから、礒山雅氏のCDライナーノーツから引用しておこう。
「マリア潔めの祝日」の福音書章句は、救い主としての幼子イエスに出会い、心満たされて死に赴く、シメオン老人の物語を伝えている。台本(作者不詳)はこのシメオンを「私」に見立て、安らかな死への、甘美にして熱烈な憧憬を歌い出した。曲はまず、イエスを抱いた老人の感動をまざまざと伝える、ハ短調のアリアに始まる。続くレチタティーヴで「満足」の対象は来世へと転換され、変ホ長調の子守歌へと入ってゆく。ここでの安息の表現とこの世へのきっぱりとした訣別(中間部)の対比は、感動的である。こうして魂は現世に最後の別れを告げ、協奏曲風の終結アリアにおいて死への待望を、物狂おしいほどの喜びをこめて歌う。
愛聴盤は、フィッシャー=ディースカウの新旧両盤をその日の気分で聴き分けている。
リステンパルト盤(1953年モノラル録音)
指揮;カール・リステンパルト
リステンパルト室内管弦楽団
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
シメオン老人にしては若すぎる声質だが、躍動的な終結アリアだけは、このほうが似つかわしい気がする。指揮者のリステンパルトはキール生まれだが、晩年はフランス国境に近いザールブリュッケンで音楽活動していたせいか、エラートなどのフランス系会社へのレコード録音が多い。しかしながら、フランス風の洒落た演奏では決してなく、飽くまでドイツ的な構築美を追求するかのような音楽作りであった。
リヒター盤(1968年録音)
指揮;カール・リヒター
ミュンヘンバッハ管弦楽団
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バス)
旧盤からちょうど十五年後の録音。瑞々しさ溢れる声質は失われたかもしれないが、逆に円熟味が増して、この曲を歌うに相応しい年齢に達したともいえよう。どちらをベスト盤にすべきか? 録音状態、曲趣、好伴奏(特にマンフレート・クメントのオーボエ独奏)の三拍子揃った新盤のほうだろう。
余談ながら、バッハカンタータの大多数は、コラール(衆讃曲)を中間或いは終結部に配したいわゆる「コラールカンタータ」だが、BWV82はコラールなしの数少ない楽曲である。なお、コラールとは、早い話が讃美歌で、古くから歌われているものをバッハが転用したに過ぎず、この部分はバッハの作ではない。カンタータにしろ、受難曲・オラトリオにしろ、コラールに感動させられるのは、昔から歌い継がれた詞とメロディが平易にできているからだろう。本来、讃美歌は信徒が礼拝に際して歌うものだから、誰もが知ってる歌詞とメロディでなくてはならないわけ。我国で言えば「学校唱歌」みたいな類ですね。かといって、「歌謡曲」や「ポップス」などの「ポピュラー(≒大衆)音楽」では決してない。
ついでながらバッハ特有のBWV番号は「バッハ作品総目録」のことで、正式名称”Bach-Werke-Verzeichnis”の略号。バッハ自身によるものでなく、作曲順に振られたナンバリングでもなく、単に作品群整理のための番号に過ぎない。カンタータ作品から始まるため、カンタータ番号に限れば、BWV番号と偶々一致するだけの話である。作曲年代とは無関係。
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