三つ巴の「台湾総選挙」と迫り来る「中国の影」 ヨーロッパ、中東に続いて、東アジアもまた有事に近づいてしまうのか
11/28(火) 6:04配信/現代ビジネス電子版
2360万台湾人だけでなく、近未来の東アジアの趨勢を決めるといっても過言ではない「大一番」の台湾総統選挙が、1ヵ月半後に迫ってきた。決戦の日は、来年1月13日土曜日だ(就任は5月20日)。
その候補者の申請受付が、先週金曜日、11月24日午後5時(台湾時間)に締め切られた。
これまで立候補を表明していた4人のうち、ホンハイ(鴻海精密工業)創業者の郭台銘(かく・たいめい)元会長が出馬を取りやめた。そのため、与党・民進党の頼清徳(らい・せいとく)主席(副総統)、野党・国民党の侯友宜(こう・ゆうぎ)新北市長、第二野党・民衆党の柯文哲(か・ぶんてつ)主席の3人による争いとなった。
■蔡英文政権のナンバー2、頼清徳氏
21日に早々と申請を行ったのが、頼清徳副総統だった。蔡英文(さい・えいぶん)政権のナンバー2で、各種支持率調査で、夏以降は一貫して首位を保ってきた。
頼清徳副総統は、1960年1月、現在の新北市万里区に生まれた。父親の頼朝金氏は鉱夫だったが、頼氏が生まれて3ヵ月後、炭坑内の一酸化炭素中毒により33歳で死去。母親の頼童好氏が、独力で6人の子供を育てた。
幼少期から優秀で、万里から初めて、台北市の名門校・建国中学に合格。そこから台湾大学医学部に入学し、卒業後は台南の成大病院、新楼病院で勤務する。医師として働く傍ら、政治家への道を志し、1994年の台湾省長選挙で、民進党候補の全国医師後援会会長に就いた。
1996年、台湾で初めて民主的な総統選挙が行われ、李登輝(り・とうき)総統が再選を果たしたが、この年、36歳の頼氏は、台南市第一選挙区から国民大会代表(国会議員)選挙に出馬し、初当選。1998年には立法委員(同じく国会議員)選挙に当選し、野党・民進党の若きホープと言われた。
その後、馬英九(ば・えいきゅう)国民党政権下の2010年に、台南市長選に出馬し、見事当選。2014年には全国最高得票率で再選を果たした。
2016年1月の総統選挙で蔡英文民進党候補が勝利し、5月に政権交代。翌2017年9月に、頼清徳台南市長は蔡総統に呼ばれ、行政院長(首相)に就任した。この時、「台湾独立」を公言し、中国が猛反発している。
2018年11月、統一地方選で蔡英文総統率いる民進党が、22地域の首長選で5ヵ所しか獲得できず惨敗。支持率を約15%まで落とした。
そんな中、翌2019年1月、蔡総統と頼行政院長の間で、ひと悶着が起こった。蔡総統は2020年1月の総統選で再選を目指しており、挙党一致を訴えていた。ところが頼氏は、「もはやレイムダック政権」と見切りをつけ、まるで蔡総統に砂をかけるように行政院長を辞職。次期総統選に自ら打って出たのだ。
だが、こうしたあからさまな態度が民進党内で反感を買い、党内での支持が伸びなかった。結局、2019年6月に民進党予備選で蔡総統に負けて、公認候補となれなかった。
■再び巡ってきたチャンス
同月、香港で逃亡犯条例の改正に反対する市民約200万人がデモを敢行。その後、約半年にわたって、民主化を求める香港市民と、それを取り締まる香港当局(+習近平政権)との激しい攻防が繰り広げられた。
「今日の香港が明日の台湾になってもよいのか?」――蔡英文民進党は、俄然息を吹き返した。結局、2020年1月の総統選は、817万票という歴代最多得票数で、蔡総統が再選を果たしたのだった。
私はこの時、一週間近くにわたって現地で選挙戦を取材したが、蔡英文民進党は、ほとんどこのひと言で圧勝したようなものだった。
親民進党の『自由時報』は選挙翌日の社説で、「蔡英文の最大のサポーターは習近平」と論じていた。習近平政権が香港の民主化運動を弾圧したことで、「民族の逆賊」と敵視している蔡英文総統を再選させてしまったと皮肉ったものだ。
私もこの時の総統選挙で、「政治家・蔡英文」を見直した。それは、あれほど裏切られて痛い目に遭った頼清徳氏を、自分がペアを組む副総統候補に呼び戻したからだ。
もちろん、「党内政敵」となった頼氏と組むことで、挙党一致を求めるということもあったのだろう。だが、それにしても「太っ腹」である。
実際、2020年1月の総統選挙戦では、頼清徳副総統候補がマイクを持った時だけ、会場でブーイングが起こっていた。民進党支持者の中にも、頼氏に対する拒否感があったのだ。頼氏はそうした雰囲気を払拭しようと、中国語よりも聴衆の心に刺さる台湾語で、必死に演説していた。
ともあれ、2期目の蔡英文政権に入ると、頼清徳副総統は「借りてきた猫」のように低姿勢を保った。民進党関係者の話によれば、蔡英文総統は多くの幹部人事を、頼副総統に相談することなく進めたという。
だが、そんな頼副総統に、再びチャンスが巡ってきた。昨年11月の統一地方選挙で、蔡英文民進党が惨敗したのである。21地域の首長選で、民進党が勝利したのはわずか5地域のみだった。最も力を入れていた首都・台北市長選でも国民党に完敗した。
■米国とのパイプ作りに繰り出した「ウルトラC」
この時も、現地で取材していた私は、民進党本部で蔡英文総統が何を語るか見守ったが、わずか2分24秒の会見で、民進党主席の辞任を発表して、そそくさと出て行った。そして今年1月15日、頼清徳副総統が、代わって民進党主席に就任したのである。
その後、他の候補者を寄せつけないまま、民進党公認の総統候補に収まったというわけだった。頼氏をよく知る日本の政界関係者が語る。
「2019年5月に頼氏が来日し、ある日本の大物政治家と面会した際、『お疲れの様子ですね、自分は医者だから』と言って、いきなりマッサージを始めた。そうかと思えば、別の大物政治家との面会には、40分も遅刻して平然としていた。
昨年7月、安倍晋三元総理の弔問のため訪日したことで、親日ぶりをアピールした。だが日本側の窓口に、『即日ビザを出すように』と強引に迫り、対応に苦慮した。このように、よくも悪くもマイペースの政治家だ。
日本の政治家で兄貴のように慕っているのが、古屋圭司日華議員懇談会会長。『古屋さんこそ日本の総理にふさわしい』と、常々語っている。
今年の『双十節』(10月10日の中華民国=台湾の建国記念日)に古屋会長が訪台した際も、晩餐を共にして古屋会長から激励された。そのため、今回の総統選で勝利したら、古屋氏を中核とする日華議員懇談会の議員たちが、日本と頼清徳政権とのパイプ役を果たすだろう」
私が頼清徳という政治家を見てきて、いつも思い起こす日本の政治家は、菅直人元首相だ。雰囲気がとてもよく似ているのだ。
ところで、台湾の総統になるには、日本と並び、アメリカに太いパイプを作ることが必須条件である。だがこれまで、頼氏はアメリカ政界とのつながりが薄かった。そこで今回、頼氏は「ウルトラC」を繰り出した。ペアを組む副総統候補に、52歳の「美人駐米大使」蕭美琴(しょう・びきん)氏を抜擢したのである。
蕭美琴氏は、1971年に台南出身の父・蕭清芬(しょう・せいふん)氏と、アメリカ人の母ペギー・クーレイ氏との間に、日本の神戸市で生まれた。米オハイオ州のオベルリン大学を卒業し、コロンビア大学で政治学修士号を取った。
2002年に華僑枠で民進党から立法委員(国会議員)選に出馬して当選。計4期勤め上げた後、2020年6月に、「駐米大使」に当たる駐米台北経済文化代表処代表に抜擢された。
世界を、そして何より中国を仰天させたのが、2021年1月20日のジョー・バイデン大統領就任式に、蕭美琴氏が台湾の代表として、初めて列席したことだった。以後、中国からは「台湾独立派」として強く警戒されている。
総じて言えば、頼清徳&蕭美琴コンビが勝利した場合、習近平政権との軋轢は、いまの蔡英文政権以上に高まるものと推定される。そうなると、中国としての戦略は、いかに総統選で民進党の勝利を阻むかということになってくる。
■人気があり中国にも従順な侯友宜新北市長
前述のように、中国には4年前の苦い経験があった。香港であからさまに民主化運動を弾圧した4年前と異なり、巧妙かつ老獪に「選挙介入」していく必要があった。
そこで中国がキーパーソンとして目を付けたのは、習近平主席と一定の信頼関係がある国民党の馬英九前総統だった。習近平主席と馬英九総統は、2015年11月にシンガポールで、歴史的な「トップ会談」を実現させていた。かつ馬氏は2016年に政界を引退してからも、国民党内で強い影響力を保持していた。
馬氏の先祖の墓は、中国の湖南省にある。中国はそんな馬氏を、今年3月27日から4月7日まで招待した。名目は先祖の墓参りで、墓地やその周辺を仰々しく整備して熱烈歓迎した。
だが本当の目的は、習主席の側近である宋濤(そう・とう)国務院台湾事務弁公室主任との会談だった。これは3月30日と31日の二日間にわたって行われ、武漢から長沙へ向かう高速鉄道にも同乗して議論を続けた。
おそらくこの時に、2024年1月の台湾総統選挙の「作戦会議」を行ったのだろう。つまり、いかにして民進党政権を終わらせるかということだ。
その後、「作戦」は何度も更新された節があるが、まず何より、台湾人に人気があって、中国にも従順という候補者を擁立することが第一だった。そこで目を付けたのが、侯友宜新北市長だった。
侯友宜新北市長は、1957年6月に、台湾南部の嘉義県に生まれた。父親は元国民党軍の軍人で、国共内戦を経て台湾に渡り、嘉義県で豚肉販売業を営んだ。
嘉義高級中学校を卒業後、中央警察学校に進学。内政部警政署に入り、警察官僚の道を歩んだ。
警察官僚時代には数々の事件で実績を上げ、2006年、49歳で史上最年少の警政署長(警察庁長官)に就任した。だが、2008年に国民党の馬英九政権が発足するや、警察大学校校長に左遷させられた。「民進党に近い官僚」と警戒されたことが原因と言われる。
失意の侯氏を救って政界入りさせたのが、朱立倫(しゅ・りつりん)新北市長(当時)だった。2010年、朱市長に請われて、同市副市長に就任したのだ。そのまま新北副市長を7年以上務め、2018年に市長選に当選した。
私生活では1992年に、長男をバス事故で失う不幸にも見舞われた。日本との関係で言えば、新北市と神奈川県が提携関係にあるため、交流がある。夫人の父親は上海出身で、中国との関係も悪くない。
また、アメリカにはこれまで深い縁はないが、馬英九人脈を受け継いでいくものと思われる。
■政治信条は「好好做事」
ちなみに、侯氏はこの秋の『フォーリンアフェアーズ』誌に、「台湾がとるべき道――対話による戦争回避を」と題した論文を寄稿しており、その中で「台湾海峡とインド太平洋地域の安定を維持するための「3D戦略」を提案している。
それは、抑止(deterrence)、 対話(dialogue)、ディエスカレーション(de-escalation)だ。おそらく、バイデン政権の対中指針である「3C戦略」――競争(competition)、対決(confrontation)、協調(cooperation)をもじったものと思われる。
侯氏の政治信条は、「好好做事」(ハオハオズオシー)。日本語に直すと、「物事をうまくやる、丸く収める」という意味だ。今回の総統選での言動を見ていても、常にチームプレーを重視していることが窺える。よく言えば、敵が少ない。悪く言えば、押しが弱いのが特徴だ。
昨年11月の新北市長選では、115万2555票という台湾全土で最高得票数を獲得した。私は現地で取材したが、午後4時に投票が締め切られると、その1分後には真っ先にテレビで「当確」が流されるなど、圧倒的人気を誇っていた。
その時から次期総統選出馬について聞かれたが、「明日のことは誰にも分からない」とお茶を濁していた。その一方で、市長選の選挙演説では、「この選挙は次期総統選挙の前哨戦だ」と強調していたので、意欲は十分と見た。
だが国民党には、2度目の総統選出馬を窺う朱立倫主席がいた。昨年11月の統一地方選挙で、22の首長選挙中、国民党は15地域も獲得して圧勝したのだから、本来なら朱主席が「本命候補」のはずである。2010年に失意の侯氏を救った「政界の恩師」でもあるので、朱主席が出馬を表明すれば、侯氏は対抗馬として出にくかった。
結果的に朱主席が身を引いて、公認候補の座を侯氏に譲った。大政党の主席が総統候補になるのが「常識」の台湾では、珍しいことだった。
だが私には、何となく予想ができた。昨年11月、台北市長選の国民党候補だった「蒋介石(しょう・かいせき)総統の曾孫」蒋万安(しょう・まんあん)候補の決起集会を取材していた時のことだ。
雨中の集会だったが、通路に立って壇上の蒋候補を撮影していた私に、何者かが後ろからぶつかってきた。振り返ると、雨合羽を着た小柄な初老の男が、「対不起!」(ごめんなさい)と呟いて、前方に駆け出していった。
すると周囲の人たちが、「あれは朱立倫主席ではないか」と騒ぎ出した。確かに、そのまま壇上へ上がって、後に挨拶したので、本人に違いなかった。
それにしても、何とカリスマ性の乏しい国民党主席だろうと、その時に驚いたものだ。「115万票の市長」とは、その時点で、人気に大きく差がついていた。
加えて、国民党の「お家事情」もあったろう。2000年の台湾総統選挙で、「弱すぎる国民党候補」連戦(れん・せん)副総統が敗北。1945年に日本の植民地支配を終えて以降、国民党は初めて下野した。
以後、国民党内部は、ハーバード大学で博士号を取った国際派の馬英九グループと、生粋の党人派である王金平(おう・きんぺい)グループが二大勢力となった。王氏は、1999年から2016年まで17年間にもわたって、立法院長(国会議長)として台湾政界に君臨した。
2008年から2016年までの馬英九政権でも、王院長の権力は絶大だった。日本でいうなら、安倍晋三首相と二階俊博幹事長のような関係で、政治信条は水と油だが、「あうんの呼吸」で共存していた。
そうした関係が、馬氏が73歳になり、王氏が82歳になった現在でも続いている。互いに政界を引退したが、「二大長老」として君臨しているのだ。そのため、「二大長老」にも従順な総統候補を立てねばならなかった。
その点、常に「党内のチームプレー」を重視する侯氏は、ベストの選択と言えた。こうして今年5月17日、国民党は党内予備選を行わずに、侯友宜新北市長を総統選の公認候補にすると発表した。これは中国にとっても、ベストの選択だった。
■第四の男、柯文哲とはどんな人物か
ところが、この後の総統選挙レースは意外な展開を見せていく。
国民党の公認候補争いに敗れたホンハイの創業者・郭台銘元会長が、無所属で出馬宣言。他にも、第二野党の民衆党の柯文哲主席が、出馬表明したのである。これで次期総裁選は、前代未聞の「4つ巴の争い」となった。
柯文哲氏は、1959年8月に、現在ハイテクパーク(半導体産業の集積地)として名高い新竹市に生まれた。父親は同市の日系企業顧問だった。
医者を目指して、台湾大学医学部に入学し、医師免許試験に全国トップで合格。台湾大学医学部教授(外科・救急医療)として、「臓器移植の父」と呼ばれたり、初めてECMO(体外式膜型人工肺)を導入するなど、「カリスマ医師」として知られた。
だが2014年、医学部内のゴタゴタに嫌気がさし、突如として無所属で台北市長選に出馬を表明。当初は泡沫候補と見られていたが、その強烈な個性が無党派層の支持を得て、見事当選を果たした。2018年も「薄氷の勝利」で再選を果たし、昨年末まで務めた。
その間、2019年8月に、中道政党の台湾民衆党を立ち上げ、自ら主席に収まった。昨年11月の統一地方選挙では、全22地域の首長選で、生まれ故郷の新竹市長だけを取っている。
柯氏は総統選への出馬表明後、今年6月に来日した。来日前に元秘書の知人に人物評を聞くと、こう答えた。
「とにかく唯我独尊で、台湾で自分が一番賢くて偉いと信じ込んでいる。確かに頭脳明晰なことは認めるが、政治や行政には素人なので、何かと早とちりしたり間違ったりする。そのため、何度となく秘書チームが訂正し、本人に伝えていた。それでもあまりに独善的なので、部下たちは次々に辞めていった。少なくとも私は、柯氏に一票を投じない」
柯氏の来日時の記者会見で、私は今後の展開を見越して、2点質問した。
近藤:「中国とはどう向き合っていくつもりなのか? 中国側が求める『一つの中国』を承認するのか?」
柯文哲:「いまの民進党(蔡英文政権)は、中国大陸と向き合わなすぎだと、台湾人は考えている。実際、対立していて『互信』(相互信頼)がないではないか。
逆に国民党は向き合いすぎで、台湾人はあまりに従順すぎると感じている。その点、私は中国大陸とは、『両岸一家親』(両岸は一家の親戚)としてつき合う。従順ではなく、互信と対話を重視する」
近藤:「今後、国民党の侯友宜候補と、候補者の一本化はありえるか? 特に、あなたの民衆党と国民党は、規模や歴史からして雲泥の差だが、あなたが侯氏の下について副総統候補になることはあり得るか?」
柯文哲:「国民党とは政策が同じでないのに、どうして一本化するのか? 特に、中国大陸に対する国民党の政策理念は、はっきり定まっていない。しかも支持率調査では、(国民党の侯友宜候補より)私の方が上なのに、なぜ私が下に付かねばならないのだ? 逆なら分かるが。
理解してほしいのは、いまや台湾は、『青(国民党)か、緑(民進党)か』という時代ではないということだ。与党の民進党にも、野党の国民党にも満足していないという台湾人が、大勢いるのだ」
二番目の質問に対しては、怒りをぶちまけるように答えた。キッと私を睨みつけた目が印象的だった。
■野党候補の一本化作業
夏から秋にかけて、4候補者の支持率は、各媒体を通じて毎週発表された。それによれば、一番手の頼氏が30%~40%、二番手の侯氏と柯氏がそれぞれ20~25%、四番手の郭氏が10%程度だった。
つまり見通しとしては、台湾経済が悪化している中で、3人の野党候補が一本化すれば、政権交代のチャンスは大いにある。だが、このまま4すくみになって総統選に突入したら、野党票が3つに割れるため、頼氏が当選するだろうということだった。
総統選挙の立候補受付は、11月20日~24日。そこで総統選レースの第2ラウンドは、野党候補の一本化作業に移った。
この作業を主導したのは、馬英九前総統だった。そしてそのバックには、中国が控えているものと思われた。
国民党内でも、王金平グループは一本化に反対だった。そんなことをすれば、他党や他候補に妥協を重ねることになり、伝統ある国民党がガタガタになると主張した。
当の野党3候補も、一本化できないと誰も勝てないことは自明の理なので、総論としては一本化に賛成だった。だが、誰も自分が身を引く気はなかった。
侯氏は、100年以上の伝統を誇る国民党の公認候補であり、37人の立法委員(国会議員)を始め、全国津々浦々に37万人の党員を抱えていた。
柯氏は、そもそも「もはや民進党と国民党の二大政党の時代は終わった」と大見得を切って、2019年に民衆党を立ち上げており、弱小政党とはいえ、国民党と組むことに対する党内のアレルギーは大きかった。
郭氏は、場末の零細企業から年商31.3兆円(2022年)の台湾最大の企業を一代で築き上げた「台湾首富」(台湾一の富豪)であり、「自分こそが台湾をハイテク・アイランドにできる」という自負があった。
こうした中、中国が表舞台に「参戦」してきた。10月下旬に、中国国内のホンハイの工場を、一斉に税務調査し始めたのである。これが郭台銘候補に「身を引け」という警告であることは、一目瞭然だった。
これによって、郭候補の最大の支持母体だった約55万人のホンハイ社員たちに、動揺が走った。事実、この時点で郭候補は出馬を断念したようで、以後は、馬英九前総統と共に、侯候補と柯候補の間を取り持つ役割に回る。
■「二つの城」での睨み合い
11月15日、侯候補と柯候補の両陣営は、ようやく合意を見た。7日から17日の6つの最新の支持率調査の結果をもって、18日にどちらが総統候補でどちらが副総統候補になるか発表するとしたのだ。
ところが18日には、「24時間発表を延長する」という発表があっただけだった。さらに、19日の発表は20日に延び、さらに22日に延びた。
国民党側は、6つの支持率調査で、5勝1敗で侯候補が勝っていると主張した。一方の民衆党側は、誤差の範囲を考えれば3勝3敗であり、どちらが総統候補になった方が頼清徳候補に勝てるかという調査では、柯文哲候補の方が勝っていると主張した。
選挙管理委員会が示す立候補の締め切りは、台湾時間の24日午後5時である。いよいよ話し合いの最終日となる23日を迎えた。私はこの日、台湾のインターネットテレビに釘付けになった。
水面下では、事ここに及んで、中国側が「最終カード」を切ったのではなかろうか。すなわち、馬英九前総統を通して、「柯文哲総統、侯友宜副総統もやむなし」という最終判断を下したということだ。
思えば日本でも、1994年に、自民党が与党に返り咲くために、水と油だった社会党の村山富市委員長を首相に担いで、強引に自社連立政権を成立させたことがあった。
23日午前11時から、内湖区の馬英九基金会オフィスに、馬氏、朱立倫主席と共に待機した侯友宜候補は、柯文哲候補と郭台銘候補に呼びかけた。
「自分はどういう形になってもよいから、馬英九オフィスで最終の話し合いをしよう」
一方の柯氏と郭氏は、「3候補とは無関係の馬英九オフィスには行かない」として、信義区のグランドハイアットホテルに二人して向かい、「侯氏にこちらへ来てほしい」と要求した。
こうして数時間、「二つの城」で睨み合いが続いた。どちらにも、数百人規模のメディアが詰めかけた。
結局、最後はまたもや侯候補が妥協し、「ハイアットホテルへ行く」と合意。その条件として、「すべての話し合いの場面を全国民に公開すること」とした。
後に国民党のスポークスマンは、「全面公開」を条件にした理由を、「中国の干渉を避けるため」と説明している。やはりここまで、「中国の影」が忍び寄っていたのである。
■「藍白合」と呼ばれた話し合いの結果
ともあれ3候補の話し合いは、午後4時半から、2538号室で行うと決まった。
夕刻に、侯候補、馬前総統、朱主席の3人が、ハイアットホテルに到着した。メディアにもみくちゃにされながら、まずは記者たちが待つ宴会場に入った。そこでは、柯文哲候補と郭台銘候補が先に着席していた。
最後の話し合い前の会見を仕切ったのは、郭氏だった。
「今日はアメリカの感謝祭の日で、佳き日だ。またここは、2008年に私が結婚式を挙げ、馬英九総統が仲人をしてくれた佳き場所でもある。今日はきっと佳い事があるだろう。
だが一つだけ、言っておく。2538号室に入るのは、3人の候補者だけだ。狭い部屋で場所が取れないから、済まないが馬総統と朱主席には遠慮してもらう」
それに対し、馬氏は「私は発言するつもりはなく、単に見届けるだけだ」と釈明し、朱氏は「侯候補が国民党のすべてを代表しているわけではない」と異論を述べた。だが郭氏は、「3候補だけで話し合うのだ」と押し切った。
その間、侯候補は吹っ切れたかのように、満面の笑顔を浮かべていた。逆に柯候補は、プイと横を向いていた。
そして会見を終えて、3候補は2538号室に向かったものと思われた。ところが、「話し合いの全場面を公開する」としていたが、公開されないまま時間だけが過ぎていった。
夜9時過ぎ、国民党陣営と民衆党陣営が、それぞれ別個に記者会見を始めた。内容は、前述の支持率調査のそれぞれの「独自の解釈」の繰り返しだった。
国民党陣営の会見に侯候補の姿はなかったが、民衆党陣営の会見は柯候補が自ら行い、断言した。
「明日の午前11時に、選挙管理委員会へ出向いて総統候補として出馬する」
かくして「藍白合」と呼ばれた国民党と民衆党の候補者一本化に向けた話し合いは、完全決裂したのだった。
「どうせ中国に統一されるのに…」 Gettyimages
台湾のインターネットテレビの画面上には、大量の書き込みが流れていった。
「いまごろ頼清徳が高笑いしているぞ」 「国民党は朱立倫主席以下、総辞職せよ!」 「二度と『合』の字は見たくない」 「早く台湾から脱出しないとウクライナやガザ地区のようになる」……。
念のため、中国側のネットも確認したら、こんな記述が目についた。
「どうせ中国に統一されるのに、台湾人は意味のないコップの中の争いをやっているな」
翌24日午前、柯文哲候補が、副総統候補に新たに指名した立法委員の呉欣盈(ご・きんえい)氏を従えて、立候補の届け出を行った。
午後には侯友宜候補が、やはり副総統候補に指名した人気テレビ司会者の趙少康(ちょう・しょうこう)氏を従えて、届け出た。郭台銘氏は立候補を断念した。
こうして3つ巴の戦いとなったが、今後は頼清徳、侯友宜、柯文哲の順番の支持率で、選挙戦が進んでいくと、私は見ている。
つまり来年は、ヨーロッパ、中東に続いて、東アジアでも有事に近づくかもしれないということだ。
近藤 大介(『現代ビジネス』編集次長)
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九頁に及ぶ労作レポートである。チャイナウォッチャーとして知られる近藤大介氏だが、中国共産党の裏情報にも通じているので、業界仲間からは冗談半分に〝中国のスパイ″と呼ばれて揶揄われている。まあ、それほどの「大物」でもあるまい。
台湾総統選野党協力失敗のわけ 【FronntoJapan】キャスター/福島香織(ジャーナリスト) 11月28日公開/チャンネル桜
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福島香織さんもチャイナウォッチャーの一人だが、近藤氏のように中国寄りではなく、日本人の視点で、中国の人権問題や香港・台湾に対する中国共産党の遣り方を批判する立ち位置にある。
近藤・福島両氏の結論は似たようなものだが、福島さんの台湾庶民の深層心理に迫った分析が興味深い。なるほどねえ、柯文哲政権誕生というのも他人ごととしては面白いかも。
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