我々は、いとも簡単に国語(日本語)を駆使している。しかし、外国人にとって、これをマスターすることは、難行苦行であるらしい。
まず、文字の種類がやたらと多い。ひらがなとカタカナの表音文字。これに表意文字の漢字が入る。漢字には、音読と訓読があり、同字異読は限りがない。同じ漢字でも、中国語では、「我」はwoだけだが、日本語の場合、ga(音読)とware(訓読)の読みがある。「行」にいたっては、銀行(ぎんこう)、行脚(あんぎゃ)、行(おこな)い、行(い)く、行(ゆ)く、行政(ぎょうせい)と実に六種類の読みになる。
表現も多彩である。中国語の第一人称は、男女を問わず「我(wo)」の一語しかない。ところが、日本語では、「私(わたし、わたくし)」、「僕(ぼく)」、「俺(おれ)」、「自分(じぶん)」、「おのれ」、「吾、我(われ)」「吾輩(わがはい)」、「わし」、「あっし」、「手前(てまえ)」、「拙者(せっしゃ)」、「みども」、「朕(ちん)」、「麻呂(まろ)」‥‥etc.。
抑揚にも微妙な変化がある。日本語には声調がないのに、外国人が戸惑うのは、これである。「会社」という単語では、語尾上がりだが、「株式会社」の熟語になると、語尾下がりになる。「橋」と「箸」では、抑揚を違えて区別している。
学問に則った正統的な日本語を、外国人に教えようとしても、容易ではないそうだ。タイ国で日本語を教えた人の話では、簡単な会話を目的とする語学学校なら、アカデミックな幻想は捨て、「通じればよい」に徹すべきだと述べている。
① 読み書きは、最初から教えない。
② 数字は、あくまで「いち、に、さん、し、ご」だけ。
20日は、「はつか」でなく、「にじゅうにち」とする。
20歳も、「はたち」でなく、「にじゅっさい」とする。
鳥の1羽、椅子の1脚などの類別詞は、教えない。
③ ~に、~を、~は、~が、などの助詞、接続詞も捨てる。
④ ただひたすら単語を覚えさせ、それを羅列させる。
我々だって、「いま、私は、お腹がすいています。この辺りに、食事を摂ることができる、お店はございませんか?」などと、正しく丁寧な訊き方をする者はいない。ネイティブ日本人なら、「腹減った。飯どこ?」で十分通じているではないか。
2006年2月28日(火)の記事
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