北朝鮮によって拉致された日本人の、早期救出を願う一人として、考えさせられる記事を見つけた。以下に、その一部を転載させていただく。
大正の末か昭和の初め、蟹工船に乗り込んで、北洋漁業に従事していた樋浦さんは、旧ソ連警備船艇に拿捕され、乗組員一同、ウラジオストックに連行、抑留された。そこでの取り調べは惨いもので、ありもしない犯罪の自白を強要され、半殺し状態で再び日の目を拝めるかと思った程だった。
次の日、鉄格子の中から引き出された。いよいよ殺されると覚悟した途端、何故か旧ソ連官憲の態度が豹変し、ロシアンティーまで振る舞われて、にこやかに釈放されるではないか。捜査は打ち切られ、無罪放免となった彼等は、外に出た。「ともかく港へ向かおう」とふらつく足を海に向けた。その瞬間、何故、助かったか、が判った。
沖には日本海軍の大艦隊が間近く展開し、旗艦たる巡洋艦以下、各艦砲身を陸に向け、砲門を開き、その強大な攻撃力は毎分幾百幾千發ぞ。
陛下の赤子にかすり傷だに負はせなば、ウラジオストックそのものを消滅させんばかりの壓倒的武威を以て、ソヴィエト社會主義共和國聯邦を威壓して呉れてゐたのです。
旭日軍艦旗の何と美しく、浮かべる城の何と頼もしかつたことでせう。皆、感泣しました。鋼鐵の艦體に頬ずりしたい思ひで‥‥。
こうして彼等は無事、日本に帰ることができた。
取るに足らない漁船の、わずかな人数であっても、大国との戦争も辞さず、瞬く間に艦隊を繰り出して救出してくれた祖国日本に報いる為、その後、樋浦さんは「稼いだ金は海軍に全部寄付する」気持ちで、一層仕事に励んだそうだ。
~「大人の無法地帯」より~
2006年2月19日(日)の記事
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