先ほどマイカー(自転車)を走らせ、新宿西口の居酒屋で昼餉を摂取してきた。ところがその帰途、激しい通り雨に遭って全身ずぶ濡れになってしまった。まるでタイのスコールみたい。その凄まじさについては6月6日付チェンマイ暮らし その2の記事でチラッと触れた。しかし、それと比べれば可愛い赤ん坊スコールといったところ。
さて目下、外国で買い集めた音楽メディアを整理している。台湾のそれをすでに終え、今はタイのものに手を着け始めた。改めて全貌を眺めると、最初期('80年代末)の頃はほとんどがポップス系で、ルークトゥン、モーラム系(いわゆる「タイの歌謡曲」)は皆無に等しい。当時は未だタイ文字が読めず、年齢だって「若者」とは言えないまでも今よりずっと若かったので、自然に国際標準的なポップス系を好んだのだろう。
今でこそ「懐メロファン」を自認しているが、子供時分を振り返ると、決して歌謡曲(邦楽)派ではなく、どちらかと言えばロカビリー(洋楽)派であった。でも不思議ですねえ、年齢を重ねるにしたがって、熱中していた洋楽系の歌よりも、毛嫌いしていた日本調歌謡曲のほうが、よほど懐かしく感じる。年寄りをこうした懐古趣味に走らせるのは、消えゆくものに対する愛惜の念からだろうか。裏を返せば、歌の世界から「日本的」なものが薄れゆく運命にあるということに他ならない。
この傾向は日本に限らず、タイでも台湾でも同様である。科学的合理主義思想に基づくグローバルスタンダード(はっきり言って「米国標準」)化が進行すればするほど、その国固有の“地方色”を奪い去ってゆく。おそらくは、万国が抱える共通の悩みなのかもしれない。『国家の品格』の藤原正彦教授ではないが、《チューリップが美しいからといって、世界の花をチューリップだけにしてしまってはならない。》のである。
タイのルークトゥンは、大本を正せば農業歌が発展したものである。日本で言えば、「田植え歌」や「稗搗節」といった民謡の類がこれに相当する。従って、本来は田舎風の歌なのだが、日本の歌謡曲がそうであったように、時代とともに洗練されて今は都会風の歌が主流になってしまった。
そんななか、“これぞルークトゥン”とも言うべきCD(左画像)を実は所有していたのだ。何時頃何処で買ったのか憶えていないが、アルバム名からして2000年以降に購入したものに違いない。
このアルバムの六曲目と十一曲目を聴いてみましょう。
☆ สุโขทัยระทม(悲運のスコータイ)
สายัณห์ นิรันดร(サヤーン・ニランドン)
☆ รำพึงถึงพี่(あなたへの憧れ)
สลักจิต,จันทน์จวง,ดวงใจ ดวงจันทร์(サナチット、チャナチュワン、ドゥンチャイ・ドゥンチャン)
ロック・ポップス系のような、万人から好まれるファッションとしての流行歌的要素には乏しいが、その代わり如何にもタイらしい長閑な田園情緒をたっぷり含んでいる。好きだなあ、こういう歌。
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