我が父系は、明治34年にカナダ移民した祖父母がルーツである。日系二世に生れた父親だけが、なぜか幼少期に日本に戻され、日本国籍であった。故に父系の従兄弟たちは、みんなカナダ在住で、日系三世のカナディアンということになる。9・11同時多発テロの直前、単身カナダに渡り、十四名の従兄弟たちに会ってきた。二世(叔父母)は、結婚も日系人同士で、名残を留めているが、三世(従兄弟)になると、姿は日本人でも日本語さえ話せない。四世ともなると、日本人から見れば、まったくの異国人だ。
最年長の従兄だけは、幼くして母親を亡くしたため、祖母に育てられたらしく、ある程度の日本語を話す。面白いことに、口調が「明治調」なのだ。「おい、君、これを誰か知っとるか。これは君のダディだぞ。」ってな具合。「活動写真」なる言葉も登場した。
すぐ上の従姉の夫は、禿げ上がった英国系三世で、彼の経営する船体部品工場を案内してくれた。数十人の老若男女工員は、人種も様々で渾然一体。そして、みんながTシャツやポロシャツ姿のまま執務中。なんと、工作機械はすべて日本製だった。自家用車は、ホンダ(バイクも)とジャガー。父祖の国を大切にしている様子が伺える。
しかし、血の繋がった従兄弟たちであり、親密な雰囲気にもかかわらず、ある種の違和感を覚えた。もちろん、悪い意味などないが、しっくりこない。おそらく、「日本人の心」(大和心)の濃淡が原因であろう。従兄弟たちは、みんなクリスチャン。思考の原点は、西洋的価値観に依拠しているようだ。仮にDNAには「大和心」があったとしても、環境に汚染されてか、限りなく淡くなっているのだろう。
「国史(日本史)」にしろ、「靖国問題」にしろ、『教育勅語』にしろ、「大和心」を以てしなければ、本質の理解が不可能ではないのか。
2006年7月25日(火)の記事
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