浮世離れしていようが、私は独自の視点で世の中を見続ける。最後に信ずるに足るのは、自分しかないと思うからだ。世の中の動きに従って、自分は影響されているし、自分が世の中を動かす一人であることも事実である。
「したいことをする。したくないことはしない。」
心がおもむくままの行動により、世の中の人々が何に共感し、何を嫌うかで、己の長短を判定してくれる。良し悪しの理性は頭の役目、好き嫌いや美醜の感性は心の役目。たばこが身体に悪いことはわかっちゃいる。わかっちゃいるけど止められない。だって、好きなんだもん。
争点となっている心の問題もすべて同じだと思う。靖国神社にしろ、天皇にしろ、教育問題にしろ、アメリカ様であろうが中国様であろうが、他国や他人に言われても、日本人や己の感情が受け入れるはずがない。だって日本人は、日本國が大好きなんだもん。悔しかったらそんな日本を好きになってね、としか言いようがない。
戦前を含む古い映画やSP盤復刻CDを見聞きするにつけ、現代に生きる自分が哀れに思えてきた。たった一つだけ、今昔に違いがあるような気がする。それは、真剣に生きているか否かの違いだ。
真剣で真面目な生き様を見て、人々は心を動かされる。
これは今昔に関係ない、真理と断言する。写真は、俯瞰すれば卑屈に撮れるし、見上げれば凛々しく写る。数字だって、はじめに結論ありきで、どうにでも作ることができる。
真剣でない証拠は「驕り」となって現れる。現代社会では、上に立つ人ほどわかっていない。「イエスマン」ばかりを従えた「裸の王様」だ。一般庶民は、肩書はなくとも直感的にわかっている。手品のタネはもうすでにバレているのだ。下の者を見くびってはいけない。バカにする者は、バカにされた者によって滅ぼされる。
いまや、上に立つ者よりも下々の者が、世の中を動かすというへんてこな逆転現象が起きはじめている。この時流に乗り遅れているのが、政財官であり、教育界であり、これを報道するマスコミだけだ。(チャンネル桜を除く)
今後が楽しみですね。
2006年8月17日(木)の記事
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