昭和31年(1955年)が西鉄の初日本一となった年であることは既に述べた。当時、クライマックスシリーズなどというヘンテコな制度はないから、パリーグの覇者は言うまでもなく西鉄ライオンズ。
154試合96勝51敗7引分勝率.646 日本選手権4勝2敗 監督三原脩(背番号60)
2位南海とのゲーム差は0.5ゲームという僅差であった。
となると、昭和31年の西鉄を逸するわけにはいかなくなる。前年昭和30年とどれだけ選手が入れ替わったか、比較してみて欲しい。
主力野手(打撃順)
54・・・玉造陽二(右翼手・19歳)/打率.297・打点33・本塁打1・盗塁18
9・・・河野昭修(一塁手・25歳)/打率.270・打点38・本塁打2・盗塁14
7・・・豊田泰光(遊撃手・21歳)/打率.325・打点70・本塁打12・盗塁31
6・・・中西太(三塁手・22歳)/打率.325・打点95・本塁打29・盗塁15
27・・・関口清治(左翼主・30歳)/打率.255・打点73・本塁打13・盗塁3
25・・・高倉照幸(中堅手・21歳)/打率.259・打点58・本塁打9・盗塁35
5・・・仰木彬(二塁手・20歳)/打率.242・打点33・本塁打10・盗塁23
12・・・日比野武(捕手・35歳)/打率.233・打点27・本塁打1・盗塁3
控え野手(代打・代走・守備固めなど)
3・・・大下弘(外野手・33歳)/打率.259・打点52・本塁打4・盗塁3
2・・・中谷準志(内野手・37歳)/打率.196・打点16・本塁打3・盗塁4
29・・・塚本悦郎(外野手・31歳)/打率.182・打点6・本塁打1・盗塁4
8・・・滝内弥瑞生(内野手・20歳)/打率.179・打点12・本塁打1・盗塁5
10・・・田辺義三(捕手・18歳)/打率.128・打点6・本塁打0・盗塁0
11・・・久保山誠(捕手・22歳)/打率.179・打点9・本塁打4・盗塁2
1・・・今久留主淳(内野手・37歳)/打率.196・打点3・本塁打0・盗塁0
47・・・和田博実(捕手・19歳)/打率.189・打点1・本塁打1・盗塁0
28・・・田中久寿男(内野手・20歳)/打率.211・打点3・本塁打1・盗塁0
58・・・平塚宝(代打・20歳)/打率.083・打点1・本塁打0・盗塁3
投手陣
18・・・島原幸雄(22歳)/投球回数373.2/3・25勝11敗・防御率1.35・奪三振253
20・・・西村貞朗(21歳)/投球回数246.1/3・21勝7敗・防御率1.71・奪三振163
15・・・河村久文(22歳)/投球回数201.2/3・18勝12敗・防御率2.54・奪三振123
23・・・畑隆幸(18歳)/投球回数90.2/3・7勝4敗・防御率1.68・奪三振62
21・・・川崎徳次(34歳)/投球回数85.0・2勝3敗・防御率2.33・奪三振32
24・・・稲尾和久(18歳)/投球回数262.1/3・21勝6敗・防御率1.06・奪三振182
こうして見ると、日本シリーズで対戦した巨人と比べたら若いチームですね。父親に連れられて、足繁く平和台球場に通っていた小学三年生時分が甦ってくる。主力野手、投手であれば背番号とともにそのプレー姿が今でも瞼に浮かぶ。
関口・日比野を除くレギュラー野手はみんな20歳代前半までの選手ばかり。こんな若いチームは現代では考えられないだろう。川崎を除いて投手陣も若い。西鉄(現西武)唯一の永久欠番「24」を背負った稲尾(別府緑丘高校出)は、当時無名の新人とあってスコアボードが手書きで「稲生」と誤記されていたのを憶えている。主力投手唯一の左腕畑(小倉高校出;昭和29年選抜準優勝)も高卒新人だったんですね。ややクセのある投球フォームを想い出す。因みに、西鉄に下手投げや左腕の伝説投手は育たなかった気がするが、横手投げは結構居た。上記河村と川崎、タコ踊り投法こと若生忠男(18歳・背番号38)などがそれ。
なお、「背番号」が本旨だから、現在誰に受け継がれているかを最後に記しておこう。
1・・・栗山功(外野手)、2・・・欠番、3・・・浅村栄斗(内野手)
5・・・外崎修汰(内野手)、6・・・源田壮亮(内野手)、7・・・松井稼頭央(外野手)
8・・・金子侑司(外野手)、9・・・木村文紀(外野手)、10・・・森友哉(捕手)
11・・・今井達也(右投手)、12・・・ニール・ワグナー(右投手)
15・・・大石達也(右投手)、18・・・欠番、20・・・高木勇人(右投手)
21・・・十亀剣(右横手投)、23・・・野田昇吾(左投手)、24・・・永久欠番
25・・・平井克典(右投手)、27・・・炭谷銀仁朗(捕手)、28・・・藤原良平(右投手)
29・・・小石博孝(左投手)、38・・・玉村祐典(右投手)
47・・・ファビオ・カスティーヨ(右投手)、54・・・ブライアン・ウルフ(右投手)
58・・・熊代聖人(外野手)、60・・・中村剛也(内野手)
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