前稿で昭和30年(1955年)の西鉄主力選手背番号を調べた。けれども、贔屓球団だけでは片手落ちだから、対戦したパ・リーグ全球団の主力選手背番号も挙げねばなるまい。ただし、昭和30年の個人成績は過去に採り上げたので、昭和31年に時を移そう。
昭和31年は西鉄が初めて日本一に輝いた記念すべき年である。後楽園球場で行われた日本シリーズ第一戦に完封勝利した巨人の大友工投手が、試合後のヒーローインタビューを受けながら、美味そうにコーラをラッパ飲みする場面をテレビで視たのを憶えている。もちろん、自宅にテレビなどなかった時代、近くの金満邸で見せてもらったのだが、コーラという舶来の飲物をこの時初めて知った。なお、大友投手は現代では絶滅危惧種となった下手投げ(アンダースロー)でしたね。
そんなわけで、イレギュラーながらセ・リーグ優勝チームの讀賣巨人軍から始めよう。
主力野手(打撃順)
7・・・与那嶺要(中堅手・31歳)/打率.338・打点47・本塁打13・盗塁25
2・・・広岡達朗(遊撃手・24歳)/打率.233・打点32・本塁打9・盗塁8
40・・・宮本敏雄(右翼手・23歳)/打率.263・打点69・本塁打19・盗塁8
16・・・川上哲治(一塁手・36歳)/打率.327・打点67・本塁打5・盗塁16
5・・・岩本尭(左翼手・26歳)/打率.254・打点46・本塁打8・盗塁7
9・・・藤尾茂(捕手・22歳)/打率.276・打点58・本塁打14・盗塁12
49・・・土屋正孝(三塁手・21歳)/打率.257・打点27・本塁打6・盗塁6
28・・・内藤博文(二塁手・25歳)/打率.225・打点33・本塁打5・盗塁3
控え野手(代打・代走・守備固めなど)
22・・・加倉井実(外野手・22歳)/打率.220・打点29・本塁打9・盗塁10
8・・・平井三郎(内野手・33歳)/打率.220・打点29・本塁打3・盗塁5
19・・・坂崎一彦(外野手・18歳)/打率.216・打点24・本塁打1・盗塁4
1・・・南村侑広(外野手・39歳)/打率.234・打点13・本塁打0・盗塁2
24・・・樋笠一夫(外野手・36歳)/打率.184・打点7・本塁打2・盗塁0
37・・・十時啓視(外野手・20歳)/打率.267・打点5・本塁打1・盗塁1
後年、永久欠番となる「1」、「3」、「16」だが、その主たる王貞治、長嶋茂雄は未だ入団しておらず、「16」の主たる川上選手は現役の四番打者だった。因みに、「1」は上記南村選手、「3」は千葉茂内野手(37歳)の両ベテランが着けていたんですね。
投手陣
11・・・別所毅彦(34歳)/投球回数340.1/3・27勝15敗・防御率1.93・奪三振185
17・・・安原達佳(20歳)/投球回数216・15勝7敗・防御率2.71・奪三振89
10・・・堀内庄(21歳)/投球回数190.2/3・14勝4敗・防御率1.46・奪三振143
20・・・大友工(31歳)/投球回数155・12勝7敗・防御率1.63・奪三振84
18・・・中尾碩志(37歳)/投球回数93.2/3・2勝7敗・防御率2.01・奪三振41
34・・・義原武敏(19歳)/投球回数97・6勝3敗・防御率2.13・奪三振66
56・・・木戸美摸(19歳)/投球回数73.1/3・3勝1敗・防御率2.68・奪三振20
戦後11年目、当時30歳代なら概ね戦前からの職業野球選手、かつ戦後生まれの選手など誰一人いなかった。その意味で、アヴァンゲール(戦前派)からアプレゲール(戦後派)へと時代が移り変わる端境期であったとも言えよう。したがって当時のプレースタイルは、米国流「ベースボール」とはまったく異なり、「野球」と呼ぶにふさわしい我国独自の運動試合であった。ところが、監督コーチ等スタッフも選手も戦後生まれだけで占められる現在、昭和末期生まれの現役選手でさえベテランの域に達する30歳代である。勢い、プレースタイルも「野球」というより限りなく「ベースボール」に接近するのも仕方あるまい。なぜなら、現代の世相が何事にも【米国追随】なのだから。
高校(熊本工)・讀賣巨人軍を通じて川上とバッテリーを組んだ吉原正喜捕手(背番号27;ビルマ戦線で戦死)は草葉の陰で泣いていよう。なにゆゑ吉原選手を引き合いに出したかというと、小学三年生時分、野球好きだった父に連れられて『川上哲治物語背番号16』(日活;昭和32年)という映画を福岡市内映画館で観たからである。川上選手役は当然ながらご本人が演じ、吉原捕手役はご当人が故人なので宍戸錠が演じていたのを今でも鮮明に記憶している。なお、一昔ほど前、偶然だが吉原捕手終焉の地を訪れたことがある。支那(現中国)との国境に近いビルマ(現ミャンマー)の寂しい山村である。現在は、皮肉にもかつて敵国であった支那の租界地と化したも同然の有り様。通貨は人民元だしカジノは横柄な成金中国人観光客で溢れていた。世の中、変われば変わるものである。
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