昭和31年(1955年)のパリーグ第2位は南海ホークス。リーグ発足直後の毎日オリオンズの優勝を除けば、ここまで南海と西鉄が優勝を競い合った究極のライバル球団である。
154試合96勝52敗6引分勝率.643 監督山本(後の鶴岡)一人(背番号30)
首位西鉄とは勝ち星同数。
ゲーム差0.5ゲーム、勝率にして3厘差という僅差であった。
主力野手(打撃順)
24・・・岡本伊三美(二塁手・25歳)/打率.231・打点36・本塁打9・盗塁18
15・・・大沢昌芳(左翼手・24歳)/打率.259・打点30・本塁打4・盗塁18
29・・・杉山光平(右翼手・38歳)/打率.303・打点93・本塁打12・盗塁14
23・・・飯田徳治(中堅手・31歳)/打率.252・打点62・本塁打6・盗塁45
16・・・森下正夫(三塁手・22歳)/打率.284・打点61・本塁打6・盗塁56
3・・・寺田陽介(一塁手・21歳)/打率.247・打点32・本塁打7・盗塁3
14・・木塚忠助(遊撃手・31歳)/打率.253・打点27・本塁打1・盗塁34
19・・・野村克也(捕手・20歳)/打率.252・打点54・本塁打7・盗塁3
背番号の記憶は、「29」に引っ掛けて“29(憎)らしい選手”と憶えた杉山だけ。それほどよく打たれた。大物打ち(大砲)は居ないものの、大阪商人特有の“ガメツイ野球”が得意で、やたらと盗塁の多いチームだった。後の「大沢親分」は2番打者だったんですね。全く憶えていない。後の四番打者野村は20歳にしてチームの正捕手。現代では考えられませんねぇ。
控え野手(代打・代走・守備固めなど)
26・・・長谷川繁雄(外野手・23歳)/打率.282・打点37・本塁打4・盗塁7
12・・・蔭山和夫(内野手・29歳)/打率.234・打点15・本塁打4・盗塁14
5・・・穴吹義雄(内野手・22歳)/打率.233・打点22・本塁打4・盗塁2
9・・・堀井数男(外野手・32歳)/打率.244・打点26・本塁打2・盗塁3
25・・・松井淳(捕手・30歳)/打率.242・打点9・本塁打0・盗塁1
7・・・島原輝夫(外野手・29歳)/打率.140・打点12・本塁打1・盗塁1
10・・・大戸雄記(外野手・24歳)/打率.200・打点0・本塁打0・盗塁15
17・・・田中一朗(外野手・23歳)/打率.178・打点2・本塁打0・盗塁
控え選手で知ってるのは、蔭山と穴吹ぐらい。穴吹は一時期四番を張った主砲で、背番号とともによく憶えている。
投手陣
22・・・野母得見(25歳)/投球回数226.1/3・14勝6敗・防御率2.18・奪三振125
39・・・田沢芳夫(19歳)/投球回数199.0/3・15勝8敗・防御率181・奪三振89
2・・・小畑正治(21歳)/投球回数133.1/3・12勝1敗・防御率2.28・奪三振45
49・・・皆川睦男(20歳)/投球回数190.2/3・11勝10敗・防御率2.17・奪三振68
27・・・中村大成(20歳)/投球回数109.0/3・5勝5敗・防御率2.97・奪三振60
32・・・宅和本司(20歳)/投球回数78.2/3・6勝5敗・防御率2.28・奪三振44
46・・・長光告直(19歳)/投球回数187.2/3・13勝7敗・防御率168・奪三振77
36・・・戸川一郎(20歳)/投球回数104.1/3・10勝4敗・防御率2.06・奪三振46
投手陣はみんな若いなぁ。中村も宅和も2エース級投手だったが、酷使が祟って早くも成績が落ちてます。地元福岡門司東高校出の宅和にはいつも捻られていた記憶しか残っていない。
ライバル球団だったこの南海(現;福岡ソフトバンク)が、今や福岡をフランチャイズにしているのだから、歴史とは皮肉なものだ。で、背番号は現在、誰が受け継いでいるのだろう。
2・・・今宮健太(内野手)、3・・・松田宣浩(内野手)、5・・・欠番
7・・・中村晃(外野手)、9・・・柳田悠岐(外野手)、10・・・欠番
12・・・島谷裕亮(捕手)、14・・・加治屋蓮(右投手)、15・・・準永久欠番(藤井将雄)
16・・・東浜巨(右投手)、17・・・岩嵜翔(右投手)、19・・・欠番(永久欠番ではない)
22・・・西田哲朗(内野手)、23・・・城所龍磨(外野手)、24・・・長谷川勇也(外野手)
25・・・田中正義(右投手)、26・・・吉住晴十(右投手)、27・・・欠番
29・・・石川柊太(右投手)、30・・・準永久欠番(鶴岡一人)、32・・・塚田正義(外野手)
36・・・牧原大成(内野手)、39・・・欠番、46・・・本多雄一(内野手)、
49・・・古谷優人(左投手)
南海時代から永久欠番が無いにも拘わらず、欠番の目立つチームですねぇ。
明深夜より約一週間、旅行に出掛けるため、勝手ながら《想い出の背番号》シリーズは暫時休載します。
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