題名を「敬+礼=敬礼」としましたが、「敬」は無論のこと、「礼」にも「敬う」という意味があるんですね。ぐうたら者の不勉強が祟って、まったく知りませんでした。
剣道、柔道、合気道等の武術をはじめ、茶道などでも「礼に始まり礼に終わる」とされます。高校野球にもそれが見られます。日本精神文化の極意を知覚した、との思いです。
他人が居るから、自分の存在が示せる。相手があってはじめて、自分(たち)の「勝負」が挑める。他人が居るから、他人に学ぶことも出来る。対話は、相手なくして成り立たない。故に、他人様が居てくれることに感謝し、敬いたくなる。他人様もみんな自分と同じ人間仲間、との寛容心が肝要。
昔の人が「村八分」「勘当」を恐れてたわけが、よく分ります。「こちらから交渉を申し入れるつもりはない。」とする安倍内閣の対北朝鮮姿勢も、これで理解できます。
私の勝手な「思い込み」に過ぎませんが、まんざら的外れでもないかな、と少し悦に入ってます。やっぱり「感謝」が処世の必須条件、という気がします。
「敬礼」にまつわる、つまらないお話を一つ。
お世話になった会社の総務部で、防災・防犯関係を担当していました。ビル正面受付は警視庁OBの方。職員通用口委託警備会社の人たちは、多くが自衛隊予備役の方々でした。なぜか、私の出退勤時には、敬礼を以て送迎してくれました。職制上の上司でもないのにです。他の従業員に対しては、普通の挨拶だけ。理由は、昼食をともにし、バカ話や職務改善を語り合うなかで、裸の私を迎え入れてくれたおかげ、と今でも思っています。
この方たちから、国旗掲揚降納の作法、敬礼の仕方、無線交信等、会社に閉じこもっていたら到底知り得ない、多くのことを教えてもらいました。そして、ド素人である私の職責、防災防犯訓練時には、委託契約上、何の義務もないのに、一から十まで、一生懸命親身になって助けてくださいました。本当に心から感謝しています。
2007年1月23日(火)の記事
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