自分は、家庭内体罰の経験はほとんどありません。たまに、耳をねじ上げられたことぐらいかな。むしろ、友達の母ちゃんからよく尻を剥き出しにされ、引っ叩かれました。ただし、小学生の頃までですよ。みんなが見ている前だから、恥ずかしいのなんのって、筆舌に尽し難い屈辱感を味わいました。ウチの親が甘かっただけに、保護者同士で申し合わせていたのかもしれません。
学校での体罰は、日常茶飯事でした。児童生徒も、それを当たり前のように受け止めていました。軍歴ある先生の体罰は、なるほど軍隊式でしたね。「歯を食いしばれ!」「目をつぶれ!」の後にビンタが来る。知らず知らずに、「殴られ方」の訓練までされていたんです。人数が多いと、スリッパや竹刀を使ってやられました。それに、悪童同士でビンタの応酬をさせる先生もいました。体罰はなぜか教壇の前、と決まっていたような気がします。当事者への戒めだけでなく、見ているすべての子供たちへの警告でもあったのでしょう。そして、体罰の後に決めゼリフが発せられます。
「お前が憎くて殴ったのではない。お前のためを思うからだ。どうして先生に殴られたか、わかるか。言ってみろ。」
昔は、地域社会も、学校も、「一つの家族」という連帯意識が徹底していて、至る所で大人たちの「親心」を感じました。子供同士では、みな「兄弟姉妹」という気持がありました。総ぐるみで育てていただき、深く感謝しています。
今のように「個人の自由」「自分の勝手」を主張すればするほど、仲間が遠ざかって行くのは当然で、自ら孤独に陥る愚を犯している気がしてなりません。
2007年1月8日(月)の記事
コメント