安倍首相が李登輝元総統への弔問に森喜朗元首相を送った意味
始まりは2001年の「訪日問題」
中国に痛烈な一撃となったか
8/15(土) 16:56配信/夕刊フジ電子版【有本香の以読制毒】
8月9日、75年前のこの日は、長崎に原子爆弾が投下され、ソ連が日ソ不可侵条約を破って参戦した日だ。日本の敗戦が決定的となり、当時、1つの国だった日本と台湾が別れ別れになる、その運命が決まった日でもあった。
75年後の同日、台湾・台北の午後の気温は33度。うだるような暑さの中を、黒い服に身を包んだ日本の男たちが集まった。先月30日に逝去した「民主台湾の父」李登輝元総統への弔問に、外国から一番乗りした日本の国会議員弔問団だった。団長は森喜朗元首相。先週の本コラムでも触れたが、森氏が団長を務めた理由や経緯を知らない人のために、いま一度、大事な逸話を書いておく。
李氏と森氏の浅からぬ縁の1つの始まりは、2001年の「李登輝訪日問題」にある。1年ほど前に、総統を退いて、「私人」となっていた李氏が、心臓の持病治療を理由に訪日を希望したことがきっかけだった。
この李氏訪日を阻止する方向で動いたのが、外務省のチャイナスクールであり、これに同調した当時の外相、河野洋平氏だった。
対して、「李氏の入国を認めないことは人権問題だ」として、毅然(きぜん)と「ビザ発給」を決めたのが首相だった森氏であり、ともにビザ発給を強く主張したのが、官房副長官だった現在の安倍晋三首相である。この時の様子を、森氏は台北での記者会見で、次のように述懐した。
「中国・北京の方から働きかけがあったといいましょうか、(外務省から)『台湾の政治指導者は日本に入れないんだ』という話がありました。『日本政府はビザの発給について慎重であれ』というのが、ずっと懸案事項となっていました。結論から言えば、私が総理の時に『(李氏が)日本にお帰りになることは人道上正しいことだ』と判断し、ビザの発給を認めたということです」
現下の国際情勢にあって、日本の元首相が、かくも赤裸々に「中国の浸透」を公言したことは大きなニュースであろう。だが、この台北での森発言を大きく報じた日本の大メディアはなかった。蔡英文総統との会談の席で森氏はさらに言った。
「安倍総理から電話があり、『体のことがあるので森先生には頼みにくいが、誰に弔問に行ってもらうか悩んでいる』とおっしゃった。『あ、これは私に行けということだな』と思って引き受けました。しかも、私がちゃんと務めを果たすか、弟(=安倍首相の実弟、岸信夫衆院議員)に監視させて(笑)」
森氏の弔問が安倍首相の意向によるもの、「事実上の首相特使」だと明言したのである。だが、この発言もほとんど報じられなかった。
森氏率いる日本の弔問団が台北を去ったのと入れ替わりに、米国のアレックス・アザー厚生長官が台北に到着。海外メディアは「(米台)断交以来、最高位の訪問」と劇的に報じた。日米相次いでの大物弔問の様子は、台北での発言も含め、北京にとって、さぞ忌々(いまいま)しいものとなったにちがいない。
がんの加療中、人工透析も受けている森氏は、台北賓館の入り口で一瞬、足元おぼつかない様子を見せた。しかし、その後の弔辞、記者会見、蔡英文総統との会談では、一貫して堂々と和やか、時折ユーモアまで交えた見事な弁舌で、「横綱相撲」の貫禄を見せつけた。
感謝を伝えたく思い、帰国後の森氏に電話した。
「日本と台湾が最も互いを必要としている今、命懸けで台湾へ行ってくださり有難うございます」
すると、森氏はこう答えた。
「口幅(くちはば)ったく聞こえるかもしれないが、私が総理の時に入国をお認めした方です。それから幾度も来日されるようになり、日本人に多くのことを教えてくださった。その方への最期のお別れは、私がするのが務めと思ってね」
首相を退いて20年近くがたってなお、ザ・政治家。見事、国際政治のひのき舞台のど真ん中に立って、北京に痛烈な一矢を放った森氏に、最高の敬意と感謝の拍手を送りたい。
コメント;
1.この記事の内容の様子をTVで見なかった。見せなかったのか?日本のメディアはこれを堂々と報じないのか?膿を取り除く必要があるわな。その為にも、明確なるshow the flag!を政府は示すべき。
2.>対して、「李氏の入国を認めないことは人権問題だ」として、毅然(きぜん)と「ビザ発給」を決めたのが首相だった森氏
慣例にとらわれず、自信の信念に基づいて毅然と行動する。これがリーダー。国内では森氏は失言のイメージが強いが、少なくとも当時のこの判断が間違っていなかったことは、今の日本人の多くが納得するところだと思う。
3.台湾は、国民党独裁から民主的方法で今の民主主義を勝ち取った。このことが、かつて日本の一部で有る歴史から自分達の意思で今の民主的国家状況を設立したという精神的独立心を持つこととなったと思う。このことが、多分国家としての独立的意識、自信を得たのであろう。彼等としても、日本の植民地時代には、色々と歯がゆい思いもしたことは有ると思う。しかし、その時に近代国家の経験を得、又、日本から放り出された格好になり、国際的孤立状況になった為、誰も助けてくれない状況の中、かえって負けない気概を作り上げたと思う。この負けじ魂のコアになったのが李登輝元総裁だと思う。孤立した、民主の父を周りの媚中、親中連中の妨害を振り切って、李登輝さんにビザを交付した気概は色々言われる森元首相だが、男だと思う。それにつけても、日本人の大方は根性ナシ。
衛藤担当相 靖国参拝「中韓からいわれることではない」
記者に反論
8/15(土) 11:28配信/産経新聞デジタル版
衛藤晟一領土問題担当相は終戦の日の15日、東京・九段北の靖国神社を参拝した。閣僚の参拝は4年ぶりで、記者団の一部から「中韓からの反発が予想されるが」と質問されると、衛藤氏は「われわれの国の行事として慰霊を申し上げた。中国や韓国からいわれることではないはずだ。そういう質問のほうが異常だ。こういうことを七十何年間続けてもしようがないのではないか」と述べた。
コメント総数;1580
1.河野さんに続きこういう毅然とした発言が出てくるのはいいことです。河野さん(防衛相)のときもそうだけどわざわざこういう返答をされるような質問をする記者って何なんでしょうか? 素性の調査が必要に思います。
2.当たり前のことがやっと発言出来る様になった。しかも70年以上もかかってやっと。日本だけが異常だった。そしてその原因は日本国内にある左巻きのマスコミによって作られた。
3.一部マスコミの中韓阿り体質は常軌を逸している。ただ、かつては日本の政治家が靖国参拝することで中韓が異常に発狂していたのもまた事実。なぜ一時的に異常に発狂したのか、原因究明をするのもマスコミの仕事。だが、それを一切やらないのは、そこに自分達も絡んでいるという自覚があるからだろうか。
8月15日を「終戦記念日」と決めたのは、何時誰なのだろう。敗戦の屈辱を雪ぐため、臥薪嘗胆、反転攻勢を誓うならともかく、〝不戦・平和を祈念する日″なのだとか。しかしそれは米占領軍(GHQ)の意向(我国の弱体化)に沿ったサヨク政治プロパガンダに過ぎず、〝終戦の詔勅(所謂「玉音放送」)″で明確に否定してある。
朕深く世界の大勢と 帝国の現状とに鑑み 非常の措置を以って時局を収拾せんと欲し ここに忠良なる汝臣民に告ぐ
朕は帝国政府をして 米英支蘇四国に対し その共同宣言を受諾する旨通告せしめたり
そもそも帝国臣民の康寧をはかり 万邦共栄の楽しみを共にするは 皇祖皇宗の遺範にして 朕の拳々措かざる所
先に米英二国に宣戦せる所以もまた 実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾するに出でて 他国の主権を排し領土を侵すが如きは もとより朕が志にあらず
然るに交戦既に四歳を閲し 朕が陸海将兵の勇戦 朕が百僚有司の励精 朕が一億衆庶の奉公 各々最善を尽くせるに拘らず 戦局必ずしも好転せず
世界の大勢また我に利あらず
しかのみならず 敵は新たに残虐なる爆弾を使用して しきりに無辜を殺傷し 惨害の及ぶところ真に測るべからざるに至る
しかもなお交戦を継続せんか 遂に我が民族の滅亡を招来するのみならず 延べて人類の文明をも破却すべし
かくの如くは 朕何を以ってか 億兆の赤子を保し 皇祖皇宗の神霊に謝せんや
是れ 朕が帝国政府をして共同宣言に応せしむるに至れる所以なり
朕は帝国と共に 終始東亜の解放に協力せる諸盟邦に対し 遺憾の意を表せざるを得ず
帝国臣民にして戦陣に死し 職域に殉し 非命に倒れたる者及び 其の遺族に想いを致せば五内為に裂く
且つ戦傷を負い 災禍を被り 家業を失いたる者の厚生に至りては 朕の深く軫念する所なり
思うに今後帝国の受くべき苦難はもとより尋常にあらず
汝臣民の衷情も朕よく是れを知る
然れども朕は時運の赴く所 堪え難きを堪へ 忍び難きを忍び 以って万世の為に太平を開かんと欲す
朕はここに国体を護持し得て 忠良なる汝臣民の赤誠に信倚し 常に汝臣民と共に在り
もしそれ情の激する所 濫りに事端を滋くし 或いは同胞排せい 互いに時局を乱り 為に大道を誤り 信義を世界に失うか如きは 朕最も之を戒む
宜しく 挙国一家 子孫相伝え かたく神州の不滅を信じ 任重くして道遠きを念い 総力を将来の建設に傾け 道義を篤くし 志操を堅くし 誓って国体の精華を発揚し世界の進運に後れざらんことを期すべし
汝臣民それ克く朕が意を体せよ
御名御璽
昭和二十年八月十四日
内閣総理大臣鈴木貫太郎
何が「敗戦」なものか。戦争の大義「西洋列強からの亜細亜解放」を結果的に成し遂げたではないか。つまり、「弱きを救け強きを挫く」我国の正義が勝利したのだ。これを〝國體の精華″と呼ばずして何と言おう。秋の陛下も〝神州(我国の美称)不滅″と仰せられてある。この歴史的事実を認めたくないのが詐欺師が牛耳る特亜三国(習近平中共・文在寅韓国・金正恩北朝鮮)であり、我国の政財官学界に巣食う〝敗戦利得者″どもであり、森喜朗元総理の「神の国」発言を問題視したタマ無しマスゴミなのである。
米中新冷戦下の今日、先の大戦で身を以て我国古来の正義を貫いた先人たちと、中国共産党に事大する戦後政財官学マスコミ界のタマ無し連中のどちらが尊敬に値するか、自明の理であろう。
「事大」とは、〝弱者は強者に靡く(従う)″とした孟子の言辞に由来する語。ゆゑに、弱虫・小心者・臆病者・宦官(タマ無し)と観られることを極端に恐れる。虚勢を張る(外見を強そうに見せる)のもそのためだ。すなはち我が日本と真逆の精神社会なので、彼らの「反日」は我国民に対する妬み嫉みの顕われ、と見做すことも出来る。だから、〝弱きを救け強きを挫く″を実践してのけた(儒教の「精神秩序」を覆した)靖國神社の御祭神こそ、彼らにとって〝最大の恐怖(転じて「羨望=憧れ」の対象)″であることは間違いない。
翻って現在の香港情勢を観るがいい。弱者(無辜の香港住民)が強者(詐欺師中国共産党)に敢然と立ち向かっているではないか。我国の正義に照らして、どちらに与すべきかは言うまでもあるまい。中共にとって、華夷秩序を根柢から覆す〝最大の恐怖″に見舞われているのだ。香港問題を西洋的価値観(民主・自由・法治)からのみ論ずるのはやや的外れな気がする。平凡な香港住民にしてみれば、当たり前のように存在したそれらを踏み躙られた憤りはあるにせよ、ただ今まで通りの平穏無事な暮らしを続けたいだけではなかろうか。中国共産党にしてみれば、華夷秩序に逆らう(弱者のくせして自分ら強者に頑として靡こうとしない)香港人が苦々しいだけなのだと思う。要するに、為政者が自国民・同胞に対し、どれほどの愛情(信頼)或いは憎悪(敵愾)を以て接して来たかの単純な違いが顕在化しただけと観る。
中華思想(華夷秩序)の真理は、「法治」ならぬ「徳治」にこそ存す。強者(権威・権力者)ほど徳を備えねばならず、弱者は強者ゆゑに靡くのではなく、強者が具備する徳(恩恵)を慕うからだ、と孔子先生は説いておられる。哀しいかな習近平中国共産党には、「徳」が足りないどころか全くないのだ。国内外で人望がないのも政権延命に致命的な欠陥である。蛇足ながら、「徳治」を具現化されたのは、他ならぬ我が歴代天皇陛下(とりわけ近代以降)であらせられる。支那でも清朝(満洲人王朝)の乾隆帝(在位1735-1796)などは、徳を備えた名君との誉れが高い。
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