【台湾に学べ】
今こそ「教育勅語」の精神を!
台湾で高く評価・感謝される日本統治時代の「教育」
2020.8.26配信/夕刊フジ電子版
台湾の人々にとって、日本統治時代(1895~1945年)で最も高く評価され、そして今でも感謝され続けているのが「教育」だ。
事実、清国から割譲された台湾の統治にあたり、日本政府が最も力を入れたのが教育だった。領台後、日本政府はただちに文部省の伊沢修二と7人の優秀な教師を派遣し、台北にある士林の芝山巌に学堂を開設した。これが始まりだった。
その後、台湾人が高度な教育を受けられるよう各地に学校機関が整備されてゆき、これが人材育成と台湾の近代化に大きく貢献したのである。
明治維新によって、科学技術や医学などの西洋近代文明を取り入れて近代化を成し遂げた日本の教育は、当時アジアの中では他に追従を許さぬ最高位にあり、その高度な教育がそのまま台湾にもたらされたのだ。
日本統治時代の教育は、国語や算数といった一般の学科だけではなく、道徳、順法精神、勤勉、時間厳守といった徳育が充実していた。こうした日本統治時代の教育が高く評価されており、日本統治時代を経験した年配者は今でもそのことを称賛して止まない。
教師は、真の愛情と情熱をもって子供たちを教え導き、学問だけではなく人としての道徳教育を熱心に行った。中には、貧しい家庭の子供たちのために自分の給与から授業料を払ってやる教師もいたという。こうした話は枚挙にいとまがない。
現在の日本では、戦前日本は外地の人々に“皇民化教育”を強制したなどと教えられているようだが、私は、これまで台湾でそのような話を聞いたことがない。事実、“愛日家”蔡焜燦氏は著書『台湾人と日本精神』(小学館)で、以下のように述べている。
《内地で行われていた教育と同じ教育が日本の最南端の台湾でも行われていたのであって、“強制”などという卑しい言葉は不適切であるばかりか、我々台湾人はそうした歴史の歪曲に不快感を覚えることも知っておいていただきたい》
台湾の学校の卒業式には、いまでも「仰げば尊し」が歌われており、日本統治時代の教育の影響の大きさがお分かりいただけよう。
南部・高雄には、日本人のド肝を抜く学校がある。
東方工商専科学校は、教育学博士であり、医学博士でもある許国雄氏(2002年逝去)が創立した学校で、日本の「教育勅語」が教育にとり入れられていた。
私が訪問した際、許学長は壁に掛けられた「教育勅語」の額縁の前に立って「戦前の日本の教育は素晴らしかった」と、そこに記された漢文を一つずつ丁寧に説明してくれた。
「昭和23(1948)年の国会で教育勅語がとりやめになったのは残念です。教育勅語で日本の教育が成功したんです。父母に孝に兄弟に友に、夫婦相和し朋友相信じ…もういっぺん日本は教育勅語をやり直すべきです」
許学長は、東方工商専科学校の教育にも日本の教育勅語の精神をとり入れているのだと熱弁を振るったのである。
前出の蔡焜燦氏もまた、こう述べている。
「台湾では、いまでも『日本精神(リップンチェンシン)』という言葉が、『勤勉で正直で約束を守る』という誉め言葉として使われておりますが、それはまさしく日本統治時代の教育の成果です」
今こそ日本は、台湾に日本教育と日本精神を学ぶべきではないだろうか。
寄稿;井上和彦
自分は教育学を専攻したせいもあって、こういうニュースは大好物である。以前、「対立」という漢字の訓読み(所謂「大和言葉」)が〝ならびたつ″であると書いたことがあった。要するに音読み「たいりつ」(漢文本来の意味)とは異なる意味を持つ単語であることが分かる。換言すれば、中国では文字通り敵対関係を表すが、我国ではライバル同士的用語として遣われていた点に注目したい。中韓時代劇では〝天下に二君なし″〝両雄並び立たず″などの台詞が頻出する。ゆゑに、中国共産党が唱える「一国二制度」なるものが、如何に欺瞞に満ちてるかが分かろうというもの。香港を独立させず中国に引き渡した英国は、中共のペテンにまんまとハメられたのだ。
我国と台湾の戦後共通点は、ともに旧敵(日・・連合軍=GHQ、台・・中国国民党軍)に占領されたこと。我国は台湾の領有権を放棄した(させられた)だけで、独立を含む帰属先については、一切言及していない(台湾人が決める問題との立場)。ゆゑに、不承不承であれ中国国民党に引き渡したわけではない。
本家の我国でなく、台湾で「日本精神」が持て囃されるのも、分かる気がする。中国国民党の残虐非道な強権政治を経験しただけに、その比較において日本統治時代が「善政」に思えるのだろう。実際、西洋植民地にありがちな搾取一辺倒でなく、内地と同等かそれ以上のインフラ整備や教育、衛生対策を行っている。そして、台湾に伝わる「日本精神」とは、おそらく根柢にあるのが【教育勅語】だと思う。我国にあって、戦後廃止されたとはいえ、そんな額縁に飾られた有り難い文言などなくとも、現代人の多くが、無意識のうちにも日常生活の規範にしていると思う。
ただ、欠けるとすれば、最後の徳目〝一旦緩急アレハ 義勇公ニ奉シ″の部分、つまり「勇気」を失くしているということ。故李登輝元総統の『日本よ、強くなれ』も、〝勇気を出せ″との叱咤だろう。「勇気」の源泉は「自信」に他ならない。「自信」とは〝自らを信じる″と書く。自信がないのは、自分の能力を信じてない証拠だ。だから何でも他人(他国)に頼りたがる。我国政府の外交を総じて「弱腰」と非難する向きは多いが、ではその人に外交を任せたら「強気」になるのか。「言うは易し、行うは難し」である。多分、何も変わらないだろう。彼ら(政府)も我らと同じ国民である以上、単に国家運営を代行しているに過ぎず、我ら以上でも以下でもない。即ち、国家の有り様こそ、我ら国民の姿を正直に映す鏡なのだ。
急に小学校卒業文集(昭和35年)に載っていた担任の言葉を思い出した。戦前の満洲国訓導(小学教師)だった先生だ。五族(日本人、満洲人、蒙古人、朝鮮人、支那人)の当時を、授業そっちのけでよく語ってくれた。もう殆ど記憶に残ってないが。
卒業生におくることば
僕のように気むつかしやの人間を今日まで先生先生といって、共に勉強してくれたことを大変うれしく思う。
自分のことは自分でやることだ。親にも先生にも頼ってはならぬ。最後まで自分一人と思って頑張るのだ。
苦しみや、悲しみに負ける人間は何事もなしとげることが出来ない。歯をくいしばって頑張ろう。
「独立不羈」の精神が凝縮されている。我国のような「役割分担型社会」にあって、役割を投げ出す者が一人でもあると、忽ち世の中が機能しなくなる。全体からみた個人は、単なる部品の一つに過ぎないが、部品の一つが動かないだけで全体の動きが止まってしまう。たかが部品、されど部品、なのである。朝鮮総督府の教育9に役割分担社会の例え話がある。
【どくりつふき】
他から制御されないで自己の所信で事に処すること。
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