■ 第十四課 胃の腑と身體
或る時、手・足・目・口・耳などが不平を起こし、一同申し合わせて、胃の腑に向って、
「吾々は毎日忙しく働いて、お前に食物を送ってやるのに、
お前は何もしないで、ただすわって食べてばかり居て、吾々
に何一つ役に立つことをしてくれない。あまりばかばかしい
から、吾々は一同申し合わせて、今日から働かないことにし
た。そう承知してもらいたい。」
と言いました。
それからして後は、皆が何もしません。耳は食事の知らせを聞いても、聞かぬ風をして居るし、目は食物を見ても、見ぬふりをして居ます。手も食物を口に入れないし、足も食物をする場所え行きません。
こんなにして二三日たつと、耳は鳴り始める、目は暗む、手足は動けなくなる、皮膚の色まで青ざめて來て、身體は全く衰えました。そこで胃の腑は、一同に向って、次の樣に言いました。
「皆さんは、私がたゞすわって食べて居ると思うが、それは
まちがいです。私は食物を消化する役目を務めて居るのです。
若し私が食物を消化しなかったならば、此の體を養う血は、
どうして出來ましょうか。
皆さんは私を苦しめようと思って、此の程は少しも食物を送っ
てくれない。それだから新しい血が出來ないで、體が弱り、
皆さんは、却って、そんなに自分で苦しんで居るのです。
これで皆さんも、考えちがいをして居たことが分ったでし
ょう。皆さんは、私に食物を送るために、働いたに相違ない
が、私も亦、皆さんを養うために、働いて居たのです。これ
からは互に助け合って、睦しく暮らしたい。世の中はすべて
相持です。」
之を聞いて、手足などは皆一同になるほどと感心して、それからは不平を起さないようになりました。
・ 練 習
一、「世の中は相持。」ということばの意味をお話しなさい。
二、手足などが不平を起したことの、まちがって居るわけをお話しなさい。
三、世間にも此の話に似たことがありますか。
四、次のことばの意味をお話しなさい。
不平、不作。 一同、一帶。
相違、相持。 料理、道理。
「世の中はお互いの助け合い」という当方の持論に添うかのような、修身的示唆に富む記述ですね。「相持(さうぢ)」ってなんだろうと思ったら、「あひもち」と訓読するのでした。
あひもち 【 相 持 】
1.数人で一つの物を一緒に所有すること。共有。
2.費用などを等分に出し合うこと。
3.双方に優劣のないこと。
現代においては、忌まわしい西洋的個人主義を無批判に礼賛するあまり、世の中はお互いの助け合いで成り立っている、という先人の叡智になるわかりきった道理さえ忘れ去られてしまったようです。
この教科書にあるような、我が国ならではの伝統的な物の考え方にもっと目を向ける必要があるのではないでしょうか。尤も、これは併合時代の朝鮮における教科書ですが。
ありがとうございました。
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