武漢ウイルスが我国を侵蝕しつつある現在、花見どころの騒ぎでなく、緊急事態発令によりまるで戒厳令下で不要不急の外出も憚られる。従い、食糧買い出し以外は自室に籠もっているほかない。手持ち無沙汰から、リタイア直後の自ブログを読み返してみた。現役時代は日々の仕事や生活に追われ、過去を顧みることが殆どなかった。その反動なのか、この時期には懐古記事が多いからだ。
中国の幻想と現実
その昔、中国に憧れていた。
小学生の頃、敦煌という地名を知り、地図で探した。遠い西の果てという印象だった。行ってみたかった。
学校で学ぶ歴史(中国史部分)授業は、表面的でつまらない。むしろ、「漢文」や「古典」の方が想像力を必要とする分だけ面白かった。この頃まで、現代中国の状況などほとんど伝えられていなかったように思う。
大学の頃になると、文化大革命時代に入り、「造反有理」を叫ぶ紅衛兵や三角帽子をかぶせられた走資派が彼らに糾弾されている様子がTVニュースで流れるようになった。概ね紅衛兵側が正義で、走資派が悪という画面作りになっていたが、老人(走資派)が少年少女(紅衛兵)にいじめられているようで激しい違和感があった。
昭和59年(1984年)、はじめて中国へ渡った。その後も数回に分けて行き、あの敦煌訪問の宿願を果たせた。しかし、期待した分、落胆が酷かった。
歴史的建造物・文献は破壊、焚書され、めぼしい文物はほとんど残っていない。王朝が変わるたびに前体制を否定し、抹殺してきたからだ。日本人は気がつかないが、神代の昔から続く皇室伝統のありがたさがよくわかる。
共産中国なら人民が主役のはず。ところが、フーテンのような若者(待業青年)が昼間から通りにあふれ、各機関での待遇は家畜以下だ。暖房を求めて建物に群がる者は公安警察に追い払われ、食糧券(糧票)がない者は食堂を叩き出される。国営商店店員の横柄な態度、「為人民服務(人民のために尽くそう)」との看板がむなしい。
天安門事件以降、一度も行っていない。だから、いまの中国は知らない。しかし、日本とは正反対の国柄である点は、押さえておきたい。
2006年2月4日(土)の記事
上記は、会社を退職(2005年7月)して半年後の記事。当時は無料のブログを利用していたが其処が閉鎖になったため、当ブログ開設時(2009年)に移設した分である。
“百聞は一見に及かず”であった。「聞く(マスコミ情報)」と実際に「観る」では大違い、とはこのことだ。マスコミ(新聞・通信社・テレビ・ラジオなど)は、皮相な綺麗事だけで闇に隠れた真相を抉る視点が皆無。今回の“武漢ウイルス禍”も同様、報道姿勢を反省した様子は全く見られない。嘗て映画産業が衰退したように、既存マスメディアもインターネットに取って代わられる日が遠からず来るだろう。
マスコミ批判が主題ではなかった。支那と我国の文化の違いである。「中国」でなく敢えて「支那」と書くのは、歴史的に古代から繋がっていると観るからだ。「中国」の呼称は20世紀に入ってからで、それ以前は「支那」と呼んでいたことに由来する。
我国は“恥の文化”、歴代朝鮮半島国家は“恨(ハン)の文化”という固有名詞で呼ばれるが、何故か支那にはない。台湾の作家黃文雄氏は、我国が“誠(正直・真面目)”で支那を“詐(欺瞞・虚構)”としている。日本人対支那人の国民性では、確かにそうかもしれない。しかし、国家レベルで比べるなら、”活人・創造”と”殺人・破壊”ほどの違いがあると思う。統治形態なら、”悦服(悦んで従わせる)統治”と”屈服(強権で従わせる)統治”であろう。尤も、歴史的なグローバルスタンダード(国際標準)は後者で、むしろ我国のほうが「特別な国」なのである。そんなこともあって”(日本を)普通の国に”を掲げる政党・政治家には絶対与しない。
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