「教えられてできたことは身に付かない」
西武・沢村賞右腕の石井丈裕が見出した指導理念
3/23(月) 18:10配信/リアルスポーツ(氏原英明)
◆大人が教えすぎることで、子どもの成長を邪魔している
ライオンズアカデミーを指揮して足掛け8年になる石井丈裕コーチは、同部門の鍵を握る人物だ。
選手・指導者としての実績もさることながら、その経験則から、今の子どもたちに合った指導のあり方を模索し、日々実践している。
アカデミーの指導を始めた当初は、選手上がりのコーチの誰もが口にする考えを持っていた。だが、ある時から考えを変えたと語る。
「ある程度、プロで実績を残させていただいたので、その技術を子どもたちに教えたいという気持ちで最初は始めたんですけど、ただ、そういう思いが強すぎても、子どもたちはただ聞いているだけになってしまう。今は、そういうのから変わってきて、考えさせる指導を心がけています」
これは昨今の社会の縮図といえるかもしれない。大人が自分の言うことを忠実に聞かせることで、子どもの成長を促しているように感じているが、実は成長を邪魔している、ということが往々にしてある。過保護・過干渉になりすぎ、子どもたちの創造力を奪い、考えることをさせなくさせてしまっている。
プロ野球の取材などをしていても時折感じるが、ある若手の選手が少しブレイクした時に、自分の手応えを説明できない選手がいる。そういう選手のブレイクは長続きしないのだが、彼らのタイプに共通しているのは「コーチに言われたことをやる」体現者であって、真の力を身につけられていないということである。
実は石井コーチは、プロの指導をしながらも、その傾向を強く感じていたと言う。
「プロの選手を教えていた時に、彼らはその場ではコーチに言われたことをやるんです。でも、言われたことをやるのは大切ですけど、ある程度までいったら、自分で考えないとレベルが上がっていかない。それがいまひとつ殻を破ることができない要素の一つであると思う。教えられてできたものは、すぐにできるから自分では何も考えないのですが、いろいろ考えてできるようになったものは本当にうれしい。その気持ちをわかってもらいたい。自分がそうだったから余計にそう思います。自分なりに噛み砕いて考えたものは忘れられないですから、だから、アカデミーの指導ではその方針をとっています」
プロの選手でも考えることができなくなるのは、指導者からの助言を忠実に守ることを“よし”とする中で育ってきたからだろう。その癖がつかないように、小学生の時から「考える力」を養おうとすることは、ライオンズアカデミーの生徒たちの将来を考える意味でも、非常に大事なことといえる。
◆高校時代は2番手だった石井は、いかに成長を果たしたのか
もっとも、石井コーチがそうした指導法に行き着いた背景には自身の野球人生がそうだったからである。早稲田実時代は、“高校野球のアイドル”として騒がれた荒木大輔(現・日本ハム2軍監督)の2番手として苦しい日々を過ごした。
大学・社会人と経ていく中で、自身の持ち味を作り出しプロまで上り詰めた。そんな成長過程があったから考えてやることの重要性を感じていることに他ならない。
石井コーチの根底には「選手自らが考えること」は外せない。
「僕は子どもの頃からある程度、体は大きかったんですけど、プロにいくと期待されるような選手ではありませんでした。コントロールが良くなかったんです。それで大学の時に自分にとって何が必要かを考えるようになりました。コントロールだったので、自分の考えとしてコントロールが良くなるものを探したんです」
石井コーチが見いだしたのは、どうすれば一定の動きを身につけるかだった。狙いを定めて投げるために、体のどの部分を意識すれば効果的なのか。そこへの理解を深めることで、自身は変わっていったのだという。
「自分でいろいろ考えてやったことが身につくと一生忘れない」
石井コーチは自身の体験から、指導者になった時に、そのことを思い出した。ただ技術指導をすればいいのではなく、いかにして、選手に考えさせて行動を起こさせるかが、現代の子どもたちを指導していく上で、必要なことと考えている。
「指導者として一番に大事にしているのはまずけがをさせないことです。野球をある程度の期間やっている子は痛い思いをしてもやれますけど、野球を始めたばかりの子が痛さを感じたら敬遠してしまうところがあります。だから、けがには気をつけてやっているつもり。その次に大事なのが自分で考えてやることです。そうなることで、意欲的になりますから」
指導者が気づいたことを全て言うのではなくて、ヒントを与える程度にとどめるというのが石井コーチのやり方だ。
また、そうした指導の働きかけは、前編でも取り上げた子どもたちが野球の楽しさを知る、好きになることへもつながっていく。コーチがあれこれと口にした指導を受けると窮屈な気持ちにもなるが、自分で考えてすることを許容されると、新たな楽しさが生まれ、その効果も色濃く出るのだ。。
「野球は地道じゃないですか。何カ月やってちょっとうまくなる程度。練習は個人個人の能力を高めるためにやりますけど、野球はみんなの力を合わせないと勝てない。チームになった時に、自分の役割がわかって、自分がこうしていけば勝てる、もっと良くなるっていうのがわかるようになってくると楽しさが出てくるんじゃないかなと思います」
楽しいと思ったことは続けることができる。その中に、自分で考えて到達できるからこそ、楽しさを与えることにつながっていくと考えているわけである。
ライオンズアカデミーの取り組み、そのゴールの一つは当然、「アカデミーからプロ野球選手を出す」というものだ。
そのプロ野球選手が強い意志のもと、考える力を持っていたなら……。
それこそ、石井コーチが目指した指導法があらためて評価されるに違いない。
コメント1
問題なのはこれをただ放置することと勘違いするやつがいること。石井も言ってるがあくまで自分で考えるには前提に考える材料となる基本や経験がなければ駄目。
ブラック企業の上司やらはこれをすっ飛ばしてなにも教えてはないのにいきなり全部自分で考えろとか言ってる人間が多い。
コメント2
現役時代の石井さんは、素晴らしいコントロールが持ち味だと思っていたので驚き!
そこに辿り着くのに努力を重ねた経験から、今の指導方法があるのですね!!
コメント3
石井コーチのバトミントンラケットの練習
そして何より野球が好きで、子供達にも野球が好きでい続けて欲しいという指導の仕方を切に感じていました。アカデミーで石井コーチと一緒に野球を楽しんだ息子が最高峰でプレーできるよう応援しています。
教育の要諦を探るうえで、参考になる記事だ。「教える」のか「学ばせる」のか、という主体の違いである。極論すれば、我国は伝統的に後者(学ばせる)を是としてきた。だが、戦後GHQの教育改革により、「教える」ことばかりが喧しくなってしまった。「学ぶ側」が蚊帳の外に置かれ、「教える側」の論理ばかりが先行すると、結局、今日のような教育崩壊に行き着く。ご先祖様は、所詮は「学ぶ側(児童生徒学生弟子)」の向学(向上)心次第と分かっていたのだと思う。
自分は、「洗脳」とか「刷り込み」とかの愚民化サヨク用語を信じない。なぜなら、人間は禽獣やロボットと違って、自ら「考える」能力を持っているからだ。
人間は考える葦である
-ブレーズ・パスカル(仏国哲学者・物理学者1623‐1662年)
コメント