午後から食糧買い出しを兼ねて、行き着けの薬局まで内服薬の受け取りに出かけた。東京は目下、緊急事態発令中につき、例えるなら或る種の戒厳令下である。にも拘らず、緊迫感溢れる物々しい雰囲気はない。しかし、普段より確実に人通りは少ないし、ファッション(流行)よろしく大多数の人々が、マスクを着用している点が異なる。
薬局で順番を待つ間、民放のニュースバラエティ番組が放映されていた。偏向度合が酷い。政府批判のオンパレードといった有様。けれども、発生源である中国への非難・批判は皆無。こんな為体で日本のテレビ局のつもりかと呆れてしまう。
経済界、教育界、スポーツ界、興行界に限らす、学界も武漢ウィルスの影響をモロに被っている。その一例として『日本国史学会』(2012年~/代表;田中英道東北大名誉教授)を挙げておこう。
田中英道「武漢・細菌テロと『老年こそ創造の時代』」
- 2020年3月19日収録
御説いちいちごもっともである。田中教授は、「チャンネル桜」開局(2003年)時から、日本美術史のレギュラー講演番組を主宰していた。当演題は、儒教的“長幼の序”を是とした論で、我国の伝統文化に適った精神である。前稿で触れた中国「文革」期への違和感(紅衛兵の走資派狩り)の理由も、正しく此処に存す。
浮き世では、“若さ”を無批判に礼賛する一方、“老い”を忌み嫌いがちな風潮があるが、ご先祖様はそうではなかった。“若”には「未熟」との別意があり、”老”は「経験豊富」の意味を含む。つまり、豊富な「経験」を得るために、その代償として誰しも「若さ」を失うのである。「老い」と「若さ」の間には、こうした二律背反する相関関係があって、一概にどちらが良いとは言えないということ。
戦時中、多くの特攻隊員に愛読されたとされる『葉隠聞書』(山本常朝著)にも。”老若”の話が出て来る。ご参考までに。
現代の修身書としての『葉隠』(20)(2009年7月6日付)
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