国内外を問わず、今や世界の関心事は、中国武漢で発生した新型肺炎対策であろう。本日午後から買い物に出かけたが、特に普段と変わった様子はなかった。強いて言うなら、マスクをかけた人が、いつもよりは多少増えてるかな、という感じ。それも、意識しなければ殆ど気付かない程度である。
ネットを含む国内メディアに眼を転じると、安倍政権批判一辺倒である。しかし、自分は真逆の観方をしている。なぜなら、”自分が総理大臣だったら、こうする”とのシナリオに沿ったドンピシャ対応だからである。具体的には次の通り。
1.現地に取り残された日本人のうち、帰国を「希望する」人たちを帰還させた。
2.帰国後は、検診などを帰国者の自由意思に任せた。
3.救援機往路では、防護マスクを救援物資として現地に寄贈した。
4.帰国者には、正規片道航空運賃として、約8万円を課した。
「1」に対する批判は”対応が遅い”というだけで、方策自体への批判はない。当たり前である。「2」に対しては、(罹患しているかもしれないから)帰国者やANA乗務員全員を一時的に隔離して検査するべきという意味の批判である。これは実におかしな論法である。自分の「自由」は棚に上げ、他人(帰国者・ANA乗務員)の「自由」は認めない、に他ならない。もっと言えば、強権を以て関係者全員隔離(拘束)せよ、というに等しい。つまり、一方で中国共産党の強権体質を非難しながら、他方で強権を容認するが如き矛盾した主張ではないか。「3」に対する批判はさすがにない。それ(人種民族に拘わらず艱難辛苦に遭ってる人を救う)が、おそらく日本国民の総意だろうから。「4」に対する批判も的外れである。裏を返せば、政府が全額負担せよ、になる。帰国者は、強制的に”帰国させられた”わけではなく、”自由意思(希望)”で帰国したに過ぎない。彼の主張を拡大解釈すると、国民の海外旅行・出張は全て政府負担にせよという、とんでもない方向に転びかねない。
今回の一連の動きを見ていて”我国は凄い”という「日本の底力」を感じた。安倍総理の壮大な外交戦略かどうかは知る由もないが、多分大震災の経験に基づく一時的な対処策に過ぎなかろう。生死を分ける危機的状況下でこそ、人間の真価が問われる。自分は生来の「楽観主義者」だが、次の討論を観てその意を強くした次第。
【討論】昭和とは何だったのか?
チャンネル桜 H31/4/27
パネリスト:
荒木和博(特定失踪者問題調査会代表・拓殖大学海外事情研究所教授)
田中英道(東北大学名誉教授)
田村秀男(産経新聞特別記者・編集委員兼論説委員)
富岡幸一郎(文芸評論家・関東学院大学教授)
西村幸祐(批評家・岐阜女子大学客員教授・関東学院大学講師)
林千勝(戦史研究家)
藤井聡(京都大学大学院教授)
司会:水島総(チャンネル桜社長)
この放送局は、「保守」を標榜しているだけあって、保守系論客ばかりである。なのに、何故か田中教授だけが集中砲火(?)を浴びせられる展開になっていく。”保守するモノ”が異なるからであろう。田中教授は歴史学者だけあって記紀や万葉の時代に立ち位置があり、他の論者は、高々近代(幕末⇒明治維新)以降にしか視点がないように見受けられる。
「国民(民族)性を知りたければ神話を見よ」との格言があるとおり、神代の昔から国民性はあまり変わってない感じがする。戦中の「皇国史観」とは別に、我国を他国と峻別する根拠のひとつに「シラスとウシハクの二元論」がある。所詮二元論だから、全面的に肯定するわけにはいかないが、分かり易くて頷けるフシも多い。
・シラス(知らす)
→知る→一体化する=日本人古来の思想(大和魂・やまとごゝろ)
=日本だけのローカル標準
・ウシハク(主人履く)
所有する→奪う=概ね世界中の人種・民族の根源的思想
=グローバルスタンダード(世界標準)
「シラス」思想は多様性を受容する一方で、受容したものを同化(日本化)していくのが特徴。対する「ウシハク」思想はそもそも対立の構図でしかないから、諸事万端が排他的にならざるを得ない。
この二元論に準えるなら、安倍政権の対応や田中教授の開陳が「シラス」的とするなら、安倍政権を批判的に観るマスメディアや討論で田中教授を口撃(?)するパネリストが「ウシハク」的に映りはすまいか。
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