日本の存在の大きさを認めて
「下働き国家」への凋落を回避せよ
1/7(火) 17:10配信/ニューズウィーク
今年はオリンピックイヤー。世界が日本にやって来る。にもかかわらず、日本は内向きムードだ。大学入試共通テストでの英語民間試験の活用、そして国語と数学での記述式導入はいずれも見送りが決定した。これでは「おもてなし」をするにも自動翻訳機に頼り、何かを聞かれても自分の意見を言えない日本人が再生産され続けることになる。
加えて景気は下り坂。「日本は縮む」という、自縄自縛の呪文が再来するだろう。財政・金融の大盤振る舞いで何とか耐えてきた安倍政権も、アメリカのカジノ王との統合型リゾート(IR)をめぐる利権構造が暴かれれば、突然死を迎えるかもしれない。世界でも内向き傾向が強まるなか、日本でも「国際化」の機運が逆回りしそうだ。
だが、世界における日本の店構えはまだまだ大きい。日本のGDPが世界全体の5.7%(2018年)にまで下がったと憂う日本人もいるが、人口比で世界の1.6%でしかない国がこの規模のGDPを有することは大したことで、これはカネと技術が日本に集中していることを示す。人口減少でも労働人口は増えており、これまで稼いだカネを死蔵せずに投資で増やせば、経済の縮小を防ぐことは容易だろう。
そして、円の価値は過小評価されている。円高になればドルベースのGDPはぐっと上がる。さらに日本は、海外に1000兆円分を超える資産を持っており、それが生む利益の一部(18年で約23兆円)は日本に還流されている。
日本の富の基本を稼ぐ製造業では、電機・電子製品こそ輸出競争力を失ったが、先端部品や素材、製造機械の分野でかつての電子立国時代と同程度の輸出額を維持している。幸運なことに、自営農業が村落の主流だった江戸時代からの良き伝統なのか、日本人には自主性や自助努力の気概を持つ人間が多くいる。これが製造業やサービスの質を、現場から支える。
アジアとアフリカでは中国マネーが幅を利かせているが、長期低金利の円借款をはじめとする日本のODAの総額(2017年)は年間2兆円を超え、世界でも3位の規模。アジアでも、アジア開発銀行(アメリカと並び日本は出資比率トップ)を通じて円借款にも劣らない規模の資金を供与し、インフラ建設支援を続けている。日本のODAと直接投資はASEAN(東南アジア諸国連合)経済の飛躍に大きく貢献し、それは韓国や中国についても言える。
だから途上国に住んでみると、日本の存在感の大きさが身に染みる。日本での出稼ぎを望む人のための日本語学校は花盛りで、日本企業の工場建設の要望は引きも切らない。昨年末に来日したウズベキスタンのシャフカト・ミルジヨエフ大統領は火力発電所の建設などに1800億円もの円借款の約束を得て帰国したが、これは同国の中国に対する負債額にほぼ匹敵するほどのマグニチュードを持つ。
そして日本政府は、中東への自衛隊派遣を決定し、自国の利益を自ら守る気概と能力があることを示すなど、かなり大きな存在感を維持している。つけ上がることなく国際社会と付き合い、そこから利益を引き出すと同時に、国力に見合った責任を果たさなければならない。
世界との関係あってこその日本。世界は日本にどんどん入ってきている。単純労働だけでなく、企業の幹部にも外国人は増えているのだ。この「国際化」の時代、国民全員とは言わずとも英語で自在に議論できる日本人を増やし、質を高めないと、日本はさまざまな面で「下働き国」になってしまう。「自動翻訳機でおもてなし」では、日本は世界から置いてきぼりだ。
<本誌2020年1月14日号掲載>
河東哲夫(外交アナリスト) 註)アナリスト=分析者
コメント総数;70
・自動翻訳機を否定的に見るのは、何故なんでしょう。
夢のようなツールで、英語以外の外国語も瞬時に対応する翻訳機。
語学勉強不要とは言わないが、応対は十分に可能な機械である。
控えめな日本人にとって、最強の助っ人だ。
日本のオモテナシは、このツールで最上級となるだろう。
もし相手の理解を得る上で妨げになるような部分があったら、さらに進化させ改造していけば良い。
AIを極限まで使いこなす、これも日本である。
・英語も大事だと思うが、日本人として何を伝えるかの方が大切だと思います。
日本人として、世界にどう貢献できるか。
日本がどのような歴史を経て今に至っているか。
国際化を叫ばれているなかで、日本人としてのアイデンティティを一人一人が持つことを求められるのではないでしょうか。
・英語はあくまでツールだと思う。
翻訳技術が今後ますます発展するであろう時に、英語の義務教育の時間が長すぎると思う。
「ニューズウィーク」は米国の週刊誌である。寄稿者河東氏のことは全く知らなかったが、私奴と同学年で元外務省エリート官僚だったらしい。頭は良いのだろうが、記事を読んだ限りでは、サヨクが考えそうな内容だ。それが米国誌に載るところが面白い。
筆者(河東氏)の思想は、標題によく顕われている。つまり、「下働き」があたかも悪であるかのように否定的に用いているのだ。これは、階級型社会支配層の論理である。建前にせよ『職業に貴賤はない』を是としてきた互助互恵型日本社会とは相容れない西洋コンプレックスに汚染された考え方といえよう。
平凡な一般人と思しき三件のコメントが、いずれも記事とは正反対の観方をしていることに安堵する。なぜならオピニオンリーダーより国民のほうがよほど伝統的精神を受け継いでいて健全に思えるからに他ならない。
コメント