昨日、ちょうど投稿を終えた午後3時半(タイ時間)頃、突然停電した。当地ではよくあることだから、別に驚きもしない。しかも、昼間だったので、当初は停電に気づかなかった。なにせパソコンはバッテリー駆動で動くし、WIFIが切断されたわけでもない。
しかし、天井で回ってるはずの巨大扇風機がいつの間にか止まっている。変だなと思いつつON・OFFを繰り返してみたが、ビクともしない。室内灯も点灯しない。集中的に電気を使うとよくブレーカーが落ちるので、これかと思ったが違った。
廊下に出てみると、省エネじゃあるまいし照明が全部消えてて薄暗い。その中を、WIFI中継機だけが稼働している異様さ。非常階段近くの電力計を確認したら、どの部屋のメーターも止まっている。さらに、下階も探索してみたが、同じ状況。にもかかわらず、誰も驚いて飛び出してくる様子はない。照明が消えて薄暗いロビーでは、ハウスキーパーが普段どおり黙々と床清掃をしていた。
やれやれ、部屋に戻るとするか。ところが、エレベーターまで止まっている。うっかりしてたが当たり前だ、停電なのだから。6階の自室まで階段を上るハメになってしまった。
此処のライフラインは、水と電気。風呂場や台所調理設備もガスの代わりにすべて電気仕掛けだから、停電すると生活自体が完全に止まってしまう。極端な話、たばこさえ吸えなくなる。なぜなら、所持してるのがUSBライター。
夕方、午後6時半頃復旧したが、近所も一斉停電だったようで、通電により次々と灯りが点ってゆくさまは壮観であった。
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《タイ音楽評》の続き。今回は《6.(MP3) ลูกกรุงเพชรน้ำหนึ่ง》の評価。アルバムタイトルは、《ルーク・クルン・ペッチ・ナム・ヌン》と読むが、単語に分解すると《子・都会・金剛石・水・一(数字の)》となって意味不明。曲目リスト・歌手名等はリンク先を参照されたし。
Classic (70's - 80's) に分類されていたので、つい飛びついてしまったが、失敗だった。現役歌手ゴット(ก๊อต จักรพรรณ์)のジャケット写真を観て察しをつけるべきだった。いわゆる“懐メロ企画物”で、昔の曲を現役歌手が歌い、あるいは往年のオリジナル歌手が最近になって再録音したものばかりだった。
オリジナル盤と何処が違うかって、前稿でも書いたように、ステレオの高音質録音で聴ける良さはあるものの、往年のトップスターといえども、声が著しく衰えていて聴くに忍びない。現役歌手が歌う場合も、歌い手の耳に馴染んだ曲なので、持ち歌でないにせよどうしても昔を懐かしむような歌い方になりやすい。概して乾坤一擲の迫力に欠け、緊張感に乏しい録音になりがち。音楽は“再現芸術”だから、いかに歌手・伴奏ともオリジナルメンバーを揃えたとしても、オリジナル録音のクローン演奏は不可能。なぜなら、そもそも“時代”が違うのだから。
オリジナルと再録音では一長一短があって、一概にどちらがよいとも言えない。しかし、レコード(「記録」という意味で)は、謂わば“音の缶詰”だから、録音当時の“空気”まで封じ込められている。つまり、演奏スタイルにも流行り廃りがあり、録音年代が違えば“時代の空気”も違うわけで、二度と同じ「味」は出せないのが現実である。
私奴がオリジナル録音に拘るのは、曲そのものよりその当時を懐かしみたいがゆゑである。したがって、“時代の空気”まで伝えようがない再録音盤は、【気の抜けたビール】でしかない、ってわけ。
まぁ、勝手な思い込みをした自分が悪いのであって、このMP3に罪があるわけではない。
01.เรือนแพ(屋形船)
by ชรินทร์ นันทนาคร(チュリン・ナンタナコン)
*ご参考* 上記のオリジナル盤(1961年)
編曲が違うので当然だが、同じ歌手の同曲異演でありながら、まったく雰囲気が違うでしょ。
09.คืนนี้พี่คอยเจ้า(今宵君を待つ)
by ก๊อต จักรพรรณ(ゴット・チャクラパン)
*ご参考*オリジナル盤byสุเทพ วงศ์กำแหง(ステープ・ウォンカムヘン)
ゴットは好きな歌手の一人だから彼に軍配をあげたいが、オリジナル盤の一種独特な緊張感ではとても敵うまい。
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