この年、例え付け焼き刃でも勉強した甲斐あって、浪人せずに済んだ。慣れぬ受験勉強を脱した解放感からか、入学後は放蕩三昧。酒は呑めないクチだが煙草を覚え、学校へは麻雀の面子集めに通うといった有様。ちょうど、学園紛争で全国の大学が揺れた頃で、バリケードの中を機動隊に守られながら受験したと記憶する。入学式は予定日より遅れたし、卒業式は中止でしたからね。まともな勉強なんかしちゃいない。自分を含めてこういう連中(所謂“団塊の世代”)が、一時的にせよ日本国の中枢を担っていたのだから、世の中が良くなるはずがない。自分はノンポリだったけど、勉強熱心だったのはむしろ学生運動の活動家たち。彼らの進路と言えば、大抵が学校の先生かお役人様となって散っていった。その後を推して知るべし。
☆ 逢いたくて逢いたくて(昭和41年) - 園まり
“三人娘”のうち、歌謡曲転向で活路が拓けた歌手だろう。声量に乏しく、どこか甘えたような歌声は、欧米人好みのポップな曲には向かないと思う。つまり、外見では窺い知れないコアな部分に、【日本人の証】を他の二人よりは多く秘めている、ということ。元来、甘味な歌声は好まないが、歌手によって歌詞の意味が活かされた好例。
☆ 道(昭和41年) - 日野てる子
前年のヒット曲『夏の日の想い出』より、自分としてはこちらのほうが好み。地味な曲だが、滋味に通じる。NHKTV『今月の歌』だか『みんなの歌』だかの一曲だったと思う。したがって、流行歌の範疇で捉えるのは間違い。
☆ 若者たち(昭和41年) - ブロードサイド・フォー
5月16日付記事で触れた曲。言わんとするところは、次のとおり。毎週欠かさず視ていたので、その時の“音”が自分にとってのオリジナルとなった。而るに後発のレコードは、サウンドトラックからの流用ではなく、改めて録り直されたもの。サウンドトラックに比べて乾坤一擲の迫力を欠き、整然としていて大人しく響く。差異を喩えるなら、ライヴ録音とスタジオ録音の違いといったところ。
☆ 君が好きだよ(昭和41年) - 佐々木新一
個人的で恐縮ながらこの人、大分時分の小学校同級生にどこか似ており、彼を懐かしみつつ聴いて(視て)いた。もう半世紀以上も会っていない。今頃どうしているのだろう。
☆ 涙の谷間に太陽を(昭和41年) - 島倉千代子
カレッジ・ポップス、カレッジ・フォークなるセミ・アマチュアの新分野が耳目を集め、歌謡曲でもホームソング的な佳曲が絶滅の危機に瀕していた頃、突如世に現れたのがこの曲。それだけに、少なくとも自分にとっては“掃き溜めの鶴”だった。
☆ 恋人ジュリー(昭和41年) - 三田明
これは生(なま)で聴いたことがある。件の大分での友人が拙宅を訪れた際、どこで情報を手に入れたか知らないが、わざわざ銀座ACB(アシベ)まで足を運んで《三田明ショー》を聴いたのだった。ジャズ喫茶や名曲喫茶(クラシック)といったものは、今もあるのだろうか。
☆ これが青春だ(昭和41年) - 布施明
NTVドラマの主題歌。が、ドラマ自体は第一作『青春とはなんだ』に比して、著しく見劣りがした。主演が夏木陽介から竜雷太に代わったこともあるが、何より物語が“二番煎じ”の感を免れない。この“青春シリーズ”のうち、石原慎太郎原作は第一作のみ。
コメント