この年、美濃部東京都知事誕生。これに勢いづいた革新陣営(社会党・共産党)は爾来統一戦線を組み、国政ではともかく、地方政治に深く浸透していった。《左傾化》が地方(「東京」をこう呼ぶのも変だが)から始まったのである。当時は都民ではなかったものの、東京の大学へ通っていた。ノンポリだからかもしれないが、劇的に都政が変わった風には思えなかった。憶えてることと言えば、都電やトロリーバスが次第に廃止されていったことぐらい。
流行歌では、いわゆる《グループサウンズ》が大フィーバー。あの美空ひばりでさえバックバンドにブルーコメッツを従え、ミニスカート姿で歌っていたほど(『真っ赤な太陽』)。ただ、当時を知る者として、カレッジポップスの範疇で世に出た先行組とこの年の後発組とを、一括りにして《グループサウンズ》と呼ぶには、少々抵抗がある。
全てとまでは言わないが先行組は、大抵がエレキブームに乗って出現したインストルメンタルバンドだった。その「演奏者」が、後に歌も歌うようになっただけの話。対する後発組は逆で、楽器の演奏も出来るが、端から「歌手」として持て囃された。当時を知らない人には同じように聞こえるとしても、レコードされた曲の「歌」と「演奏」とを分けて注意深く聴いてみると、明らかに“サウンド”が違うでしょ。
大衆受けする後発組のほうが、ミーハー的な人気で先行組を圧倒したが、エレキギンギン、ドラムガンガンの“音の洪水”に酔い痴れたいクチだから、自分は今も先行組に与している。
☆ 二人だけの海(昭和42年) - 加山雄三とワイルドワンズ
ザ・ワイルドワンズは先行組の一つ。ここでは、バックバンドとして本来の「演奏」のみに専念している。彼らに因らないストリングスも加わっているが、加山雄三の歌よりもバックミュージックのエレキとドラムのサウンドにシビレてしまう。
☆ 花はおそかった(昭和42年) - 美樹克彦
今聴くと、歯の浮きそうな芝居がかったセリフに鳥肌が立ってしまう。しかし、この口調が我々仲間内では流行ったものである。
☆ 霧のかなたに(昭和42年) - 黛ジュン
“黛ジュン”という芸名は、あの右翼作曲家黛敏郎に肖ったものだとか。彼のファンだったと言うのだから、信じられない。《グループサウンズ》に女は居なかったと思うが、その鬱憤を晴らすかのよう。どちらかと言えば自分は、メロディよりもリズムで聴くタイプ。ビートの効いたこのロックのリズムが、自分の波長に最も合う。ただ、フェードアウトしてしまうのが惜しい。死んだ気のドラムの一撃で決めて欲しかった。
☆ 渚に消えた恋(昭和42年) - ザ・サベージ
このグループも先行組の一つ。歌よりか演奏が素晴らしい。
☆ 今日の日はさようなら(昭和42年) - 森山良子
カレッジフォークの流れに乗じた曲。別歌手によるヴァージョンも数多あるが、この人でなくてはならぬ。想い出なら、数年後に社会人となったペエペエの頃が結びつく。これを聴くと、中間部のハミング辺りから、なぜか泣きたくなってしまう。
☆ 太陽野郎(昭和42年) - 寺内タケシとバニーズ
件のNTV“青春シリーズ”に通じるドラマの主題歌。メンバーではリーダーの寺内タケシだけが戦前生まれ。若者の中にオッサンが一人迷い込んだみたいで異様に映った。しかし彼は、《エレキの神様》と当時呼ばれたほどの“達人”だったのですよ。この曲の歌ではなく「演奏」を聴いていただければ、おわかりと思う。
コメント