高校二年生だった昭和39年には、オリンピックが東京で開催された。半世紀(50年)も昔の話である。競技入場券を持つ生徒は、「特別授業」と称して、当該日の授業免除措置が執られた。切符のない自分は、生(なま)で観戦出来ることより、授業免除のほうが羨ましかった。実際、開催中の授業には身が入らず、注目競技などは先生方が職員室のテレビを観て、生徒たちに速報して歩く始末。閉幕した直後は、《祭りの後の静けさ》で、虚脱状態に陥ってしまった。
☆ 夢みるころ(昭和39年) - 高石かつ枝
戦前映画『愛染かつら』のヒロインから採った芸名は、そのオーディション合格に因むものらしい。もともとは、童謡歌手だったとか。前年の『紅白歌合戦』では、学生服姿の舟木一夫に対抗(?)し、セーラー服姿で歌っている。
☆ 恋の山手線(昭和39年) - 小林旭
山手線内回りで上野駅から御徒町駅までを歌詞に折り込んだ風変わりな歌である。けれども語呂がいいので、当時から耳に馴染んでいる。今では【やまのてせん】と呼び方が変わってしまったし、なぜか西日暮里、新大久保、浜松町の三駅が洩れている。このうち西日暮里は開業前だったから当然としても、ほかの二駅が外された理由を知りたい。
☆ 二人の星をさがそうよ(昭和39年) - 田辺靖雄
前年は梓みちよと“MYカップル”を組んでいたが、レコード会社移籍により、一年と持たずにコンビ解消。でも、この歌こそ“ヤっちん”の代表曲だと思う。
☆ 霧の中の少女(昭和39年) - 久保浩
佐伯孝夫作詞吉田正作曲の純然たる「歌謡曲」だが、前年『アイ・ウィル・フォロー・ヒム』で全米ビルボード誌最年少1位を獲得したリトル・ペギー・マーチが好んで歌っていたので、一敗戦国民としては溜飲が下がる思いであった。湯川れい子さん、星加ルミ子さん、見てる?
* ご参考 *
☆ 女学生(昭和39年) - 安達明
間奏にワルトトイフェル作曲のワルツ『女学生』が使われていて印象的。ただし、スペイン語のEstudiantinaは【学生の楽隊】であり、【女学生】は誤訳、とウィキペディアにあった。
映像にある吉永小百合のセーラー服姿が懐かしい。しかし、自分より二学年上のお姉さんだから、この時(昭和40年)すでに大学生だったはず。またウチの高校は、女子の制服がセーラー服じゃなかったので、必ずしも《女学生=セーラー服》というイメージではない。
☆ 十七才は一度だけ(昭和39年) - 高田美和
5月11日付記事で貶した高田美和さんのご登場。嫌いだったとは言え、内実はリアルタイムで聴いて(というよりテレビで視て)いたはずで、確かに聞き覚えのある曲には違いない。が、嫌いだった証拠に、流行った頃の自分の姿が結びつかない。
実を言うと、ずぅ~っと後年になってから、『オールスター青春歌謡』という12枚組全集物を通販で買い、なかにこの曲があったというわけ。誰とは知らなかったのが奏功し、先入観や偏見なしに聴くことが出来た次第。今では好きな部類に入りますよ。尤も、【“当時”の】という条件が付きますがね。
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