前稿「軍楽隊」と「音楽隊」の違い。で書いたiBasso A01(中国製)とPico USB/DAC(米国製)のポタアン比較は、イヤホン付属標準ケーブルでの結果です。リケーブル(アップグレード)により、DAP(iPod)直挿しでもそこそこ聴けるようになった。では、リケーブル後のイヤホンにポタアンを挟むとどうなるか。実は、これも“中和の原則”が成り立つのですよ。
どちらかと言えば、硬くシャープなSE535LTDには、柔らかくマイルドな方向に導くPicoと相性が良い。逆に、柔らかくマイルドなIE80には、硬くシャープな音を演出するA01が合う、といった具合。同じPicoを挟むにしても、iPodに落としたものよりUSB経由で聴くPC側iTunesのほうが、恐ろしく低域が豊かで音も分厚くなる。iPodは所詮iTunesのコピー(複製)に過ぎないからだろうか。確かにiTunesが原音(オリジナル)かもしれないが、アナログコピーと違ってデジタルなら理論上は劣化しないはず。理数系赤点だらけだった私奴には、どうも訳がわからない。
いろいろ試すうちに気づいたことは、SE535LTDの場合、ポピュラー系楽曲や小編成(器楽・室内楽・歌曲など)にはピッタシ合うが、スペクタクルな大編成曲には向かないように思う。音量つまみを同位置にして聴くIE80より大音量に聞こえるにも拘わらず、迫力や臨場感に乏しい。解像度が高いせいか音場が近くなり、音像もはっきりしていて生々しいはずなのに、どうもウソっぽく響く。巧く表現できないが、肉声でなくマイクを通じたスピーカ音を聴いてる感じ、とでも申しましょうか。事実、そうだから当然だけれど・・・。
因みに、思いやりの文化でも触れたベルリン交響楽団(現在“ベルリン・コンツェルトハウス交響楽団”と改称)の「音色」を例に採ってみよう。曲こそ違えど指揮者も会場も生(なま)で聴いたときと同一、かつ録画(音)年も近い次の映像をどうぞ。
モーツァルト/ピアノ協奏曲第21番第二楽章
ピアノ/ディノラ・ヴァルシー
ベルリン交響楽団
指揮/ミヒャエル・シェーンヴァント
1996年ベルリン・コンツェルトハウスでのライヴ
ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンらが生きていた1776年に創建されたこの会場は、もともと王立劇場として演劇の上演が目的で創建されたらしいが、ウェーバー「魔弾の射手」の初演、またメンデルスゾーン(アンティゴネ)やワーグナー(さまよえるオランダ人)が自ら指揮したコンサートホールとしても有名。訪れたときはあいにく補修工事中だった。それでも工事の止む夜には演奏会を開くところが凄い。
冒頭の映像でいうと、正面パイプオルガンの右側二階、ちょうどコントラバスの真後ろ席だった。客席で聴くというより、指揮者に正対して自らがコントラバス奏者になったかのような位置である。従って、主旋律を奏でるバイオリンよりも、コントラバスのほうがはっきり聞こえて当たり前。動画の中で、あまり強くはない低弦のピッチカートが出てくるが、この程度でも腹に堪えて仕方がなかったのですよ。
動画音声をIE80で聴くと、腹に堪えるほどでないにせよ、それなりの雰囲気を醸し出す。ところがSE535LTDでは、各楽器の音がIE80よりはっきりしているのに、気の抜けたビールみたいでちっとも実感が伴わない。何故だろう?
音が空気の振動によって耳に伝わる以上、どうやらこれが「聴感」に関係していそうだ。IE80では耳孔に“空気の振動”が充満する感じなのに対し、SE535LTDでは振幅が小さくほとんど感じない。喩えるならば、自分の声を自分の耳で聞くのと違い、録音された自分の声を間接的に聞く場合は何とも言えない違和感が伴う。これに近いかも知れない。聞きかじった知識によると、人声は声帯を振動させて発するらしい。つまり、自ら発した肉声は、自ら耳にする空気振動の外に、自らの声帯振動も感じているわけだが、声を発しない状態で聞く録音された自分の声に、声帯振動を知覚できるはずもない。これが違和感の原因だとか。
まあ、IE80にせよ、実演で体感した地鳴りのような低弦の凄味までは、伝わってきませんけどね。
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