前稿でDAC付ポタアンPicoのことを話題にしたが、音質追求欲が更にエスカレートして、イヤホンケーブルとDockケーブルまで買い換えちゃいました。
せっかくだから、iBasso A01(中国製)とPico USB/DAC(米国製)の両ポタアンを比べてみよう。片や1万円弱、此方5万円弱(DAC機能を外しても約3万6千円)という価格差でわかるとおり、関取が序の口相手に相撲を取るようなもので、勝敗を論っても仕方がない。結果の優劣よりむしろ、そもそもの出発点である“音作り”のコンセプト(発想・考え方)に着目したい。
DAP直挿しと比した両者間の違いをわかりやすく述べると、前者が硬くシャープ(鋭敏)な音を演出するのに対し、後者は柔らかくマイルド(穏やか)である。これに、高音寄りシュアーSE535LTDと低音寄りゼンハイザーIE80という特性が全く異なるイヤホンを組み合わせるとどうなるか? 面白いことに、A01は殊更それ(特性)を強調するが、Picoは反対に中和するのですよ。A01をブースター(増幅器)に喩えるなら、Picoは宛らアッテネーター(減衰器)といった感じ。
そのせいか音量つまみにすると、A01は10段階の2目盛付近でちょうど良く、これ以上だと爆音になるし絞り過ぎるとギャングエラーを起こして具合が悪い。その点、Picoに目盛はないが、時計の針で正午辺り(ほぼ中間値)が適正となるよう考えて作られている。しかもA01は、イヤホンの持ち味を強調するため、SE535LTDだと高域キンキン、IE80では益々ブーミー(低音過多)になってしまう。まさに『過ぎたるは猶及ばざるがごとし』である。これって出典は、中国古典(論語)じゃなかったかなあ。ねえ、iBassoさん。そこへいくとPicoは、A01とは真逆の発想で専ら中和に勤しむから、イヤホンの優点がさほど目立たなくなる反面、欠点とされる部分を補って余りあるというわけ。SE535LTDを具体例に挙げると、得意の高域を出しゃばらなくする代わりに、苦手とする低域を補って適正なバランスを保つよう考えられているように思う。結局、IE80で聴いても、行き着く先が『中庸』という意味で同じ。日本には《分相応》という言葉がある。物事には「限度」があり、それを超えてまで追求したら必ずや破綻を招く、と戒めたのであろう。
実は、この経験則に基づき、ケーブル類も買い換えたのであります。Dockケーブルには、バランスがよいとされるAudioMinor社(トルコ製)無印良品。イヤホン用交換ケーブルには、長所を強調するものより欠点を補完する方向でチョイス。SE535LTDが米国Song's社製 Universe。IE80用はゼンハイザー専用に特別開発されたという同社のNight Stalker。結果どうなったか。悪く言えばイヤホンの持ち味が薄れて、どちらも似たような音の傾向になってしまった。とはいえ、イヤホンの個性が逆転するはずもなく、両者を比べてみればSE535LTDが高音寄りなら、IE80が低音寄りであることに変わりはない。つまり、聴感を損ねる前者の高域キンキン、後者の低域過多が無くなり、どちらも聴きやすくなったことだけは確かである。
ところで話題がコロッと変わるが、昨年8月の中台韓日『軍歌』 聴き比べで、戦前の陸海軍軍楽隊と戦後の陸海空自衛隊音楽隊とでは“響き”が違う旨を書いた。しかし、具体的に何処がどう違うかの自説は述べずに終えてしまった。このままだと後味が悪いので、この機会に触れておこう。ただし飽くまで自説であって、そんな観方もあるのかと軽く受け流していただければ幸いです。
軍艦行進曲 by 海軍軍楽隊
軍艦行進曲 by 海上自衛隊東京音楽隊
軍楽隊からは尋常ならざる緊迫感が伝わってくる。対する音楽隊にそれが全くないとは言わないが、殆ど感じられない。何故か? そもそも存在意義が違うからである。戦乱が常態化していた軍楽隊の主たる任務が、軍隊内の士気昂揚に向かうのは当然の帰結であろう。実戦がないという意味で平時下の自衛隊音楽隊の場合、内部にあっては慰問、対外的には広報活動といった、むしろ緊迫感とは無縁の任務を専らとするのは当たり前。
目的が違えば奏法まで異なってくる。音量で測れば奏者が多い音楽隊に軍配が上がるかもしれない。かといって迫力となると軍楽隊のほうに一票を投じたい。迫力が音量だけでないことの好例である。軍楽隊が醸し出す迫力の源はいったい何だろう。それは歯切れのよいリズムとテンポにあると観る。一音一節に、研ぎ澄まされた日本刀で一刀両断するような、鋭い切れ味を感ずる。とかくファジー(曖昧)な国民性を有するだけに、生死を分ける絶体絶命の状態下では、逆に颯爽とした“潔さ”が求められるのだろう。一方の音楽隊は存在意義が異なるため、メロディ主体に美しく聴かせたくなりがちな点も仕方があるまい。
巧拙や良し悪しが言いたいのではない。戦前の軍楽隊が現代に甦ったとすれば、おそらく音楽隊みたいな演奏をするに違いない。なぜなら、生きる時代が違うし個人差もあるにせよ、どちらも同じ国民性を持つ日本人が奏でているのだから。
【追伸】
20014年6月22日(日)記す。
改めて聴き比べてみた。やっぱり明らかに聴感が異なる。美しい音色ばかりを追求するかのような現代音楽隊に対し、軍楽隊はそんな些事に囚われず、一般に下品とされる汚い響きをむしろ意図的に奏でることで、人間離れした鬼神の勇猛さを表現している。チューバの奏法にそれが顕著である。
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