韓流ドラマを観ていると、「文化」の違いを感ぜずにはいられない。娯楽番組ならおもしろおかしく痛快でありさえすればそれでいいので、さして目立たない。しかし、内面の葛藤や苦悩を描く真面目なドラマ(?)であればあるほど、おのれの感性との隔たりが大きくなる。とにかくシリアスドラマが好きだから、自分としては不満である。日本のオバサマがたが、何ゆゑ夢中になるのか、まったく理解に苦しむ。
“韓国=反日国家”という一部の世評は知っている。確かに四半世紀前までだったら頷いていたろう。自分自身がそう思っていたから。それで、ここ10年ほどに限れば、日本憎し的ドラマは全然観ていない。いや、むしろ先進国の一つとして描かれるケースのほうが多い気がする。尤も、嫌韓感情を煽るだけで逆効果になりかねない“反日ドラマ”をわざわざ輸出するはずもないし、自分の目に触れないだけかもしれない。何も擁護するつもりはないが、現実の話として一度きりの韓国旅行では、日本人ゆゑにイヤな思いをしたこともない。
さて、一例を挙げてみよう。件のオバサマがたが喜びそうな“純愛もの”です。英語字幕じゃ語学に弱い私奴(わたしめ)などにはかなり辛いけど、これしかないので・・・。ごめんなさい。
☆ 『夏の香り』(最終話) ☆
《あらすじ》
心臓移植を受けた女性シム・ヘウォン(ソン・イェジン)と、最愛の女性を亡くした男性ユ・ミンウ(ソン・スンホン)は、夏の山中で運命的な出会いをする。ミンウに惹かれるヘウォンと、ヘウォンに亡き恋人の面影を見出すミンウ。 だが、ヘウォンには婚約者のパク・チョンジェがおり、一方のミンウにも、彼を慕い留学先から帰国したパク・チョンア(チョンジェの妹)が何かと付きまとっていた・・・。
実は、ヘウォンに提供された心臓は、ミンウ(またはミヌとも)の婚約者で交通事故死したウンヘのものだった。その秘密を知ったヘウォンは、自分がミンウを好きになったのはウンへの心臓のせいであり、またミンウが求めているのはウンヘの面影であって自分を愛してくれてるわけではないのではないかと疑い悩み、ついに二人は破局を迎える。そして最終回に至り、再移植によって第三者の心臓に換わったにも関わらず、自分は死んだとウソをついてまで避けていたミンウと偶然出会った際、ヘウォンの心臓は以前と同じように高鳴った。(つまり、ウンヘの心臓のせいではなかった。)
あらすじからすると、昭和30年代後半に日本でも流行った“難病”をテーマにした純愛ドラマでしょうけど、似て非なる印象を受けますねえ。何が違うかって、あの頃の日本映画であれば、不治の病に冒された薄幸の美少女は、結局最後には死んでしまう。ところが韓流ドラマでは、極端な話、死んだはずの美少女が、実は人知れず生きていた的展開が多い。キリストの復活じゃあるまいに。
大げさに言えば、これは「死生観」の違いでしょうか。例えが適当でないかもしれないが、「恥の文化」たる日本には、“生き恥を晒すより死んだ方がまし”という潔さを信条とする考え方がある。一方、「恨(ハン)の文化」たる韓国では、とにかく復讐劇が多い。そして、“自分が生き続けなければ恨みも晴らせない”と考える。あくまでドラマの台詞を拾っての自分なりの想像なので、鵜呑みになさらぬよう。
ところで、制作者の言いたいことはドラマの結末を観ればわかる(と勝手に思い込んでいる)。二人の最後の台詞(内心)は、
*Haewon "When I see you,my heart starts racing before I even realize it."
*Minwoo "So this is love."
日本語字幕版では、
*ヘウォン『あなた(ミンウ)を見つけると先に胸がドキドキするの』
*ミンウ『これを・・・愛と言うんだね』
となっていました。自分が監督だったら、お互いが見つめ合い、ただ微笑むだけで、うるさい台詞(内心の呟き)はすべてボツにします。二人の胸の内は、これまでイヤと言うほど台詞で吐露されてきたのだから、情緒的人間には、これで十分理解出来よう。
こうしてみると、似て見える韓国も、やはり中国文化圏ですね。やたらと理屈っぽいし、不必要に言い訳場面が多い。それもそのはず、人工国家中国ならでは、論理的文化の代表でしょうから。究極は、心臓の秘密を知ったヘウォンが、ミンウに向かって『(心臓の主ウンヘでなく)私を愛してる証拠を見せて』だって。こんな台詞を吐かれたら、困惑するミンウならずとも、“百年の恋”が一瞬にして冷めてしまうではないか。
面白い台詞もあった。ミンウの恋心を疑うヘウォンに対して彼も負けていない。『君は(ウンヘの)心臓の中で生きているのか。』だって。深刻な場面だけに、余計に笑えた。『心臓は身体の一部に過ぎず、それがすべてではない』と言いたかったわけだ。
辛口なことを書きましたが、好きな部類に入るドラマではあります。主題曲の“シューベルト《セレナーデ》”が好いですね。男男した韓流男優は概ね嫌いだが、そうではないミンウ役ソン・スンホンも好ましい。ヘウォン役のソン・イェジンさんは、どことなく表情に翳りを感じさせるので、難病に冒された役どころが多いようです。
そんな彼女が難病役(?)じゃないけど二役を演じた映画から一つ。邦題《ラブ・ストーリー》(英題“The Classic”)。母親(ソン・イェジンの二役)がピアノを弾くなら、主役(ソン・イェジン)の自分もバイオリンを奏でる母娘であることから、クラシック音楽が随所で上手く使われている。どうでもいいけど、お下げ髪がよく似合う女優さんですね。
☆ 韓国映画《ラブ・ストーリー》 エンディング ☆
冒頭回想場面の少女こそ、実は主役の幼き時分の姿で、ここでは母親を演じている。物語は恋文の代筆がキーワード。母は受け取った側、娘は代筆の張本人と立場が逆だが、あまりにも似かよっていて却ってわかりづらい。しかし、台詞過多の《夏の香り》に比べて言葉を交わさない分、当方にとってはこのほうが双方の情感が伝わってくる。なお、最後に出てくるペンダントは、女学生時分の母親が恋文代筆者である初恋の人(川に散骨された)に贈ったもの。つまり、母親の初恋相手の息子に恋慕しつつも、友だちの恋文を代筆していたってわけ。だから恋情が籠もるのも当たり前ですね。それはともかく、バックに流れるテーマ曲が大のお気に入り。
☆ 主題歌《愛すれば愛するほど》 歌;ハン・スンミン ☆
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