☆ 武 勇
武士たる者は、武勇に大高慢をなし、死狂ひの覚悟が肝要なり。不断の心立て、物云ひ、身の取廻し、萬づ綺麗にと心がけ、嗜むべし。奉公かたはその位を、落ち着く人によく談合し、大事のことは構はぬ人に相談し、一生の仕事は、人の為になるばかりと心得、雑務方を知らぬがよし。
【 訳 】
武士である以上、武勇には大高慢で、死に狂いする覚悟が必要だ。日頃の考え方、物の言い様、身のこなしなど、すべて綺麗にしようと心がけて慎むべきである。奉公の仕方は、善し悪しを安心できる人によく相談し、大切なことはその事に関係ない人に相談を持ちかけ、一生の仕事は、人のためになることばかりを考え、余計なことは知らぬがよい。
三島の解説はありませんが、別章で次のような記述が見えます。
死だけは、「葉隠」の時代も現代も少しも変わりなく存在し、我々を規制しているのである。その観点に立ってみれば、「葉隠」の言っている死は、何も特別なものではない。毎日死を心に当てることは、毎日生を心に当てることと、いわば同じことだということを「葉隠」は主張している。我々は、今日死ぬと思って仕事する時に、その仕事が急に生き生きとした光を放ち出すのを認めざるをえない。
我々の生死の観点を、戦後二十年の太平のあとで、もう一度考え直してみる反省の機会を、「葉隠」は与えてくれるように思われるのである。
戦後二十年どころか、今や私たちは戦後六十有余年の太平の世を貪り続けています。それは山本常朝が生きた(戦国時代を経た)元禄太平の時代と、三島が生きた戦後よりも、時間的共通性があるということでしょう。
結論めきますが、「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。」と説く「葉隠」精神の極意とは、「今すぐ死ぬ気で生きる事と見付けたり。」ですね。大和魂の核心である「知・仁・勇」についても、具体的かつ簡単明瞭に教えてくれています。
すなはち、
「知」とは、他人の話をよく聞く事である。
「仁」とは、他人の欲する事をしてやるまでだ。
「勇」とは、歯を食いしばって我慢する事である。
と。
ありがとうございました。
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