■第十九課 賢イ子供
或ル家ノニハニ、オオキナ水ガメガアッテ、雨水ガ一パイタマッテヰマシタ。
一人ノ子供ガ水ガメノフチヘ上ッテ、遊ンデヰル中ニ、フミハヅシテ、カメノ中ヘ落チマシタ。
捨テテオケバ死ンデシマヒマス。
居合ハセタ子供ハ、皆ウロタヘテ騒ギマシタ。
其ノ時一人ノ子供ハ大キナ石ヲ持ッテ來テ、力任セニ、カメニ投ゲツケマシタ。
ソレガタメ、カメニオホキナ穴ガアイテ、水ガ流レ出マシタカラ、子供ハアヤフイ命ヲ助ッタトイフコトデス。
・ 練 習
一、一人ノ子供ガドンナアヤフイメニアヒマシタカ。
二、ホカノ子供ガ、「ドンナニシテ、ソレヲ助ケマシタカ。
三、次ノ假名文ヲ讀ンデ、其ノ假名遣ニ注意シナサイ。 (イ)イハノウヘニマツノキガ、ハエテヰマス。 (ロ)ニハニ、アサガホノハナガ、サイテヰマス。 (ハ)ユフガタハ、ヨホド、スヾシクナリマシタ。
四、次ノ樣ニ「ハ・ヒ・フ・ヘ・ホ」ガ、言葉ノ終又ハ中ニアルトキハ、「ワ・イ・ウ・エ・オ」ト讀ムコトガ多イノデス。 (イ) ニハ(庭) アハ(粟) タハラ(俵) (ロ) コヒ(鯉) アタヒ(價) タヒラ(平) (ハ) イフ(云) クフ(食) アヤフイ(危) (ニ) イヘ(家) ナヘ(苗) カヘル(蛙) (ホ) シホ(鹽) ホホ(頬) オホキイ(大)
仮名遣いの続篇です。「練習問題四」は、歴史的仮名遣いの体系立てた教育を受けなかった当方にも分かり易いです。
昔は、書かれたものをそのまま発音するお年寄りがいましたね。
「平」を「たいら」でなく「たひら」、「若人」は「わこうど」でなく「わかうど」、「関西」は「かんさい」でなく、「くわんさい」といった具合に。いま、自分が「即ち」を「すなわち」でなく、「すなはち」と(歴史的仮名遣いで)書けるのは、そうした記憶があるからです。
何気ない日常会話のなかからでも、教わってないはずの歴史的仮名遣いの用法を知らず知らずに学んでいたのですね。
お年寄りは、やっぱり先に生まれただけのことはあります。
「先生(先に生まれた)」とはよく言ったものですね。
確かめたわけでもないのに恐縮ですが、昔の「國語」は、「読む」ことに重点を置いた「讀本」と、書くこと主眼の「綴り方」と分かれていたようです。
教育界の現状を見るに、ローマ字教育といい、現代仮名遣い(発音主義)に改めて「読み書き」の歴史的経緯を無視した点といい、目先の便利さに目を奪われた点が悔やまれます。それに、GHQ方針に逆らえなかったとはいえ、戦前のすべてを悪とする「思い込み」が、今日の教育の荒廃を招いている気がしてなりません。
「仮名遣いはなかなか面倒で」と、現実を見据えながらも必要性を訴えたこの教科書を読むうち、そう思いました。
戦線教育のすべてがよかった、と礼賛つもりはありませんが、虚心坦懐に良点は活かすべきだと愚考いたします。
ありがとうございました。
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