第六學年用第八課「我は海の子」
一、我(われ)は海(うみ)の子(こ)、白浪(しらなみ)の
さわぐいそべの松原(まつばら)に、
煙(けむり)たなびくとまやこそ、
我(わ)がなつかしき住家(すみか)なれ。
二、生(う)まれてしほに浴(ゆあみ)して、
浪(なみ)を子守(こもり)の歌(うた)と聞(き)き、
千里(せんり)寄(よ)せくる海(うみ)の氣(き)を
吸(す)ひてわらべとなりにけり。
三、高(たか)く鼻(はな)つくいその香(か)に、
不斷(ふだん)の花(はな)のかをりあり。
なぎさの松(まつ)に吹(ふ)く風(かぜ)を、
いみじき樂(がく)と我(われ)は聞(き)く。
四、丈餘(ぢやうよ)のろ・かい操(あやつ)りて、
行手(ゆくて)定(さだ)めぬ浪(なみ)まくら、
百尋(ももひろ)・千尋(ちひろ)海(うみ)の底(そこ)、
遊(あそ)びなれたる庭(には)廣(ひろ)し。
五、幾年(いくとせ)ここにきたへたる
鐵(てつ)より堅(かた)きかひなあり。
吹(ふ)く塩風(しほかぜ)に黒(くろ)みたる
はだは赤銅(しやくどう)さながらに。
六、浪(なみ)にただよふ氷山(ひようざん)も、
來(きた)らば來(きた)れ、恐(おそ)れんや。
海(うみ)まき上(あ)ぐるたつまきも、
起(おこ)らば起(おこ)れ、驚(おどろ)かじ。
七、いで、大船(おほふね)を乘出(のりだ)して、
我(われ)は拾(ひろ)はん、海(うみ)の富(とみ)。
いで、軍艦(ぐんかん)に乘組(のりく)みて、
我(われ)は護(まも)らん、海(うみ)の國(くに)。
ついに出ました、うんざりするほど歌わされた曲。教科書には三番までしかなかったと思いますが、七番までちゃんと習いました。この歌は、後半になるほど意味深いのに、もったいない話です。
つまらいことですが、五番の「赤銅」の文字から、少年画報連載の「赤胴鈴之助」を夢想してましたよ。
この頃の児童雑誌(月刊)は、他に「少年」「ぼくら」「冒険王」などがあったように記憶します。昭和34年のことです。
ありがとうございました。
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実は私、何だかこの歌好きになれませんでした。「うんざりするくらい歌わされた」というところまではいかなかったものの、こういうところがあるからかも知れません。
7題目まであるのですね。意味は深いのですが、謎にしてあるところが面白いと思います。
投稿情報: trefoglinefan | 2008年12 月13日 (土曜日) 午前 08時53分