第五學年用第一五課「加藤淸正」
一、勝(か)ちほこりたる敵兵(てきへい)を
一擧(いつきよ)に破(やぶ)る賤嶽(しづがたけ)、
七本槍(しちほんやり)の随一(ずゐいち)と
譽(ほまれ)は高(たか)き虎之助(とらのすけ)。
蛇(じや)の目(め)の紋(もん)の陣羽織(ぢんばおり)、
十字(じふじ)の槍(やり)の武者振(むしやぶり)は、
後(のち)の世(よ)までの語(かた)りぐさ。
二、友(とも)危(あやふ)しと、身(み)をすてて
赴(おもむ)き救(すく)ふ蔚山(うるさん)や、
百萬餘騎(ひやくまんよき)の明軍(みんぐん)の
荒膽(あらぎも)ひしぐ鬼上官(きじやうくわん)。
黒地(くろぢ)に白(しろ)き七文字(ななもじ)の
妙法蓮華(めうほうれんげ)の旗風(はたかぜ)に、
異國(ことくに)までも靡(なび)きけり。
この唱歌は、当然習っていませんし、聞き覚えもありません。でも加藤清正はよく知っています。
五六年前に、一度だけ、労組の悪友に連れられて韓国を旅行しました。ちょうど、小泉首相(当時)が正月に靖国神社参拝した時です。韓国の新聞は、一面トップでしたね。ハングルは読めませんが、記事内容はおおよそ見当がつきました。
この時、ソウルからセマウル号で釜山に行き、蔚山、慶州なども観光してきました。釜山は九州に近いせいか、どことなく日本的な雰囲気がしました。風呂屋の煙突みたいなのがあちこちありましたが、あれは何なのでしょうね。
ありがとうございました。
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