幕末の武士たちは、『滅私奉公』を是とし、救国を得るため、己の特権(私心)を自ら捨てた。戦後世代は、「私心」のため、『滅私奉公』の矜持を捨てた。
戦後高度成長期の指導者は、戦前の教育を受けた『滅私奉公』を是とする方々だった。世の中がおかしくなったのは、“団塊の世代”が指導層を占めるようになってからである。
「人間の価値」は、私腹を肥やすことではない。世の偉人といわれる人々は、世のため人のために尽くされた方々(=奉公)ばかりだ。財を成す人は「成功者」ではあっても、「偉人」ではない。世のため人のために財を還元してこそ「偉人」に成りうる。こんな単純なことがわからない現代人を、不思議に思う。
小学5・6年時の担任の先生は、偉くならなくてもいいから、他人様に感謝される大人になりなさい、が口癖だった。大人になったいま、この言葉を実感する。
欲しかった物を手に入れたとき、もちろん嬉しいが、それだけだ。ところが、他人様の手助けができて、感謝の言葉を受けたとき、無上の喜びを感じる。お役に立てた、という満足感だ。自分を必要とする方が、この世に少なくともお一人いらっしゃった。自分が有益な存在である証を得た瞬間である。そこはかとない幸福感がもたらされ、誇らしい気分になる。
これが、『滅私奉公』の原点だと思う。
「滅私」といっても、文字通り“私心を減らす”であって、“なくせ”とまでは要求されていない気がする。重点は「奉公」にあり、目的達成のため、己を律する必要からの方便、と考える。
東洋の貧乏な小国にすぎなかった戦前の日本が、欧米列強に伍し、一等国として、世界の人々から尊敬されていたのはなぜだろう。お金もなく、資源もなく、軍備も制限されていたというのに・・・。
「道義国家」という矜持の背骨があったから、と確信している。
『教育勅語』『滅私奉公』『武士道精神』等の名誉を直ちに回復し、今こそ「道義国家」としての再建を図るとき、と声を大にして、叫びたい。
2006年7月11日(火)の記事
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