会社勤めの頃、組合側委員として会社幹部と交渉する際、自分のためを考えると、何だかわがままを言うようで、迫力をなくすが、組合員(従業員)のためと思うと、俄然、張り切って強気になれる。会社側委員も、所詮は組織の一員。会社の発展を思えば、それこそ組合説得に力が入るが、己の栄進栄達が絡むと、急に後ろめたくなる、と吐露していた。
靖国の御英霊が命に代えて護ろうとされたのは、家族であり、恋人であり、子孫であり、総和としての日本国であった。「私心」を捨てたからこそ「勇気」を手にされた、と思う。
いつだったか、チャンネル桜「報道ワイド日本」のなかで、キャスターの高森明勅先生は、公衆道徳違反と思ったら、必ず注意するとおっしゃっていた。それも、相手以外には気付かれないよう耳打ちで。その結果、みんな素直に受け入れてくれるそうだ。一度だけ、新幹線の中で、その道の筋と思われるおニイさんに、大音響のラジカセを注意したときは危なかったようだが、車掌が来て「何かありましたか?」という問いに、先生は「何でもありません」と答え、後におニイさんは、先生に向かって「感謝するぜ」という意味の合掌を奉げ、無言のまま次の駅で降りていったそうだ。
「勇気」を一度手にしたら、何を今まで怖がっていたのだろう、と不思議に思えてくるはずだ。いま必要なのは、「勇気」を取り戻すことではないか、と思う。そして「世の中の悪」と戦う姿勢を、一人一人が日常生活の中で、かつ可能な範囲で示すことが必要ではないのか。
それは「小さな勇気」を個々人が示すことであり、やがて世の中全体に広がって「大きな勇気」になるのではないか。
2006年7月9日(日)の記事
コメント