幼少の頃、特に家庭内では、“わがまま”が度を越していた。依頼心が強く、臆病で泣き虫なくせに、意のままにならないと手近な妹弟をいじめては、鬱憤を晴らしていたのだ。
手を焼いた両親が、祖母に相談の手紙を送っていた、と想像している。
家族の誕生日とクリスマスには、ケーキを食べる習慣が、我が家にあった。五人家族なので五等分するが、大きさに必ず大小ができる。長男の特権で、いつも最初に取ることを許されていた。一番大きなサイズを取るのは、子供心理として当然である。
ところが、或る妹の誕生日のとき、
「○○が生まれた日やから、ケーキが食べれるっちゃなかね。
今日だけは、大きかとば○○にあげちゃらんね。」
と母親から耳打ちされた。言われたとおり、二番目のサイズで我慢したときの妹のはしゃぎようが、今でも忘れられない。
「兄ちゃんが、あたしに大きかとばくれたあ!!」
以来、誕生日に当たる者が、最初に取る家訓に改められた。勝気で物怖じしない末っ子の弟は、もっと悲惨だった。着ている服といえば、いつも私のお下がりばかり。独りではよう行けない己の性格が本当の理由だが、弟を自転車の後ろに乗せ、子供向け再上映映画を、よく二人で観に行った。
「大和心」の「惻隠の情」とは、このことだろうか。すべては、かの先生の『教育勅語』体験をした後の出来事である。
先日、電話(いつも留守番電話)が通じない、と心配して妹がわざわざ拙宅を訪問してくれたようだ。孫さえいるのに、夫や姑を差し置いて、甥の身の処し方まで、独身の私に相談しようとする。
「ケーキ事件」が効いていると思う。
2006年7月26日(水)の記事
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