教育に関する悪の根源は、一般国民(己を含む)である。
最大の権力者でありながら、天に唾しているのだから・・。
ただし、権利を持たない子供(未成年)を除く。
『滅私奉公』という言葉に拘っている。
伝統的な“日本人の心”も『教育勅語』の精神も、究極の心髄はここに存す、と勝手に思い込んでいる。戦後の高度成長は、物欲という私心を抱えていたとはいえ、官民挙げて『滅私奉公』した賜物ではないだろうか。
現代日本人は、「勇気」を失っている。「卑怯者」の集団に成り下がった。「強者に媚び、弱者を叩く」古来日本人の価値観では、最も忌み嫌われた行為であろう。卑怯者が罷り通る世の中にしたのは、ほかならぬ一般国民だ。
・人権を隠れ蓑に暗躍する輩を見ても、争わず近寄らない。
・未成年に飲酒喫煙を許すかのごとき商店の販売姿勢。
・大声で喋る客を迷惑に感じながらも放置する飲食店。
・路上禁煙区域での喫煙者を見ても見ぬ振り。
・列の割込(余り見かけない)に泣き寝入り・・・。etc.
所詮は他人ごと。自分には関係ない。悪いとわかっちゃいるが、もし、絡まれでもしたら・・・。「注意一秒、ケガ一生。」・・・くわばら、くわばら。
なるほど、みんな他人さまのこと。しかし、そこには御身第一という「私心」が入り込んでいる。「私心」と「勇気」は反比例する。
2006年7月8日(土)の記事
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