転記していて、小学四年生(昭和三十二年)の頃に呼び戻されてしまった。身も心も、この書物に記された世界に生きていた時期である。みんな貧しくとも、幸福感に満ちた明るい笑顔があった。
『教育勅語』や『修身』そのものは、教わったことがない。恩師には、『教育勅語』を伝授したい意図があったはずだ。なのに、知育・体育はともかく、何一つ教えてもらえなかった。ただ、「自分で考え、自分でしろ」が先生の口癖で、「自分で掴め」ということのようだった。言われるままに、何でも自分で考え、汗と泥にまみれながら、試行錯誤を繰り返すうちに、独自の考え方(自分だけの価値観)が出来ていったのだ。恥ずかしながら、つい十年ほど前まで、『教育勅語』の中味をまったく知らなかった。
教育学者によれば、自立心は、十歳(小学四年)前後に芽生えるそうだ。言われてみれば、先生は、毎年、四年生ばかりを担任されていた。臆病で、泣き虫で、人見知りする依頼心の強い甘えん坊が、生まれ変わったように変心するのだから不思議だ。何がきっかけだったのだろう。
先生の訓導にもよるが、何事も自分自身で考え、自分の意思で行動するようになったことが、大きい。「したいことをする。したくないことはしない。」と心に決めて事に臨むうちに、自分の長短が見えてくるとともに、誰に教わるでもなしに、独自の思考を持ち始めた。自分で決めたことは、結果の成否もすべて自分に係ってくる。勢い、真剣にならざるを得ない。そうすることで、外見上の仮の姿(インチキ)を見破り、人の内面(心)や事象の真実を見抜く『心眼』が練磨されていった。やがて、
「新しいものよりも旧いもの」
「華美な生活よりも分相応の質素な生活」
「物質的豊かさよりも精神的豊かさ」
「私(個人)の利益よりも公(社会)の利益」
「大量消費よりも節約・倹約」
「一人の天才よりも多数の凡人」(強力な独裁者も民衆の結束力に脆い)
「上(強者)にはより強く、下(弱者)にはより優しく」
といった、私利私欲とは無縁の、“目に見えない普遍的な価値”を見出せるようになった。その心底には、日本人本来の“こころ”(大和魂)が宿っており、これが自分の思考を左右してきたように思う。
2006年6月23日(金)の記事
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