「教育基本法」の改正案が、論議を呼んでいる。はじめて、現行「教育基本法」の全文を読んでみた。なんと空々しい言葉の羅列であろうか。これが、いま自分にも適用されている法律なのか。意地悪く読めば、「お前たちは、無知だから教育が必要だろう。俺たちが道筋をつけてやったから、あとはこれに従え。」と、威丈高に命じられているようだ。私は言い返してやりたい。「ふざけるな!まず、お前たちがやってみせろ。」「われら」のなかには、自分はおろか一人の日本人も含まれていない。「GHQ」と読み替えよう。
それにしても、自分に出来そうにもないことを下々に押し付け、先人の恩を忘れて祖先を貶め、無責任で、わがままで、ウソつきで、小心で、事なかれ主義で、傲慢な、社会の迷惑人間を排出してきた戦後教育の「悪しき巣窟」が、ここにある。
この法律は、(昭和)天皇が公布された体裁を採っている。たったいま、杉浦重剛「教育勅語」を読み返したあとだけに、陛下のご心中を察するに余りあり、落涙せずにはいられなかった。これは、陛下のご意思ではない!
かつて英国の友人が、日本人は宗教なくして何故尊敬すべき国民となれるか、と怪しみ問ひ来りし時、日本には皇祖皇宗の遺訓たる「教育勅語」ある事を通知せしかば、友人は大いに敬服せし事あり。中外に施して悖らざること、これを以て知るべし。
明治天皇は、
朕、爾臣民ト倶ニ拳拳服膺シテ、咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
と宣はせられたり。故に殿下(のちの昭和天皇)におかせられても、御自身御実行あらせらるると同時に、いかにすれば臣民をしてこの道に進ましむるを得べきか、の一事に御留意あらせられんことを望む。
(杉浦重剛「教育勅語」御進講の結びより)
「教育基本法」に強権的な畏服(恐れて従う)の臭いを嗅ぐとすれば、「教育勅語」には仁愛による悦服(喜んで従う)がある。
勅令(天皇のご命令)でなく、勅語(天皇のお言葉)だからなのか。何より、「私もみなさんも、一緒になって徳を高め、ご先祖様に恥じない立派な日本人になりましょうね。」(拙意訳)という結びが効いている。天子様がなさるんだから、自分もやらないわけにはいかない、という気分にさせてくれる。
これが、天皇の御稜威(みいつ)なのだろう。
2006年6月20日(火)の記事
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