正行、敵より送り來たれる父の首を見て、悲しみにたへず、ひそかに持佛堂の方へ行きけり。
母あやしと思ひ、あとより行きてやうすを見れば、正行は、父が兵庫へ向かふ時、かたみにとゞめし菊水の刀を右の手に拔き持ちて、袴の腰を押しさげ、自害せんとぞしいたりけり。母、急ぎ走り寄り、正行がかひなに取り付いて、涙を流しゐひけるは、
「汝、幼くとも、父の子なれば、これほどの道理に迷ふべしや。よくよく思ひても見よかし。父上、兵庫へ向かはれし時、汝を櫻井より返されしは、父のあとをとぶらはせんためにもあらず、腹を切れと殘されしにもあらず、われ、たとへ戰場にて命を失ふとも、汝、生き殘りたらん一族どもを助け養ひ、今ひとたび軍を起こし、朝敵を滅ぼして、御代を安んじ奉れとゐひおかれしところなり。その遺言をつぶさに聞きて、この母にも語りしものが、いつのほどに忘れけるぞや。かくては父の名も失ひ、君の御用にも立ちまゐらせんことあるべしとも思はれず。」
と、泣く泣くいさめて、拔きたる刀をうばひ取る。正行、腹も切り得ず泣き倒れ、母とともにぞ嘆きける。
正行は、父の遺言母の教へ、身にしみて忘れず。
そののちは、童どもと、戰のまねして、「これは朝敵の首を取るなり。」といひ、竹馬にむちを當てゝ、「これは尊氏を追ひかくるなり。」などゐひて、はかなき游びにも、たゞこのことのみを思ひけり。
國民學校第六学年「國語」~菊水の流れ~より
この物語は、高校「古文」で知った。早大教育学部在学中の教育実習生から教わった部分で、よく憶えている。「何のために生きるか」をこの文から読み取り、教育の威力をしきりに説いていた。後に、彼の後輩となったきっかけでもある。
2006年3月4日(土)の記事
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