「廣瀬中佐」(尋常小學唱歌第四學年)作詞、作曲‥‥不詳
一、轟く砲音、 飛來る彈丸。 荒波洗ふデツキの上に、
闇を貫く中佐の叫。 「杉野は何處、 杉野は居ずや。」
二、船内隈なく尋ぬる三度。 呼べど答へず、 さがせど見えず。
船は次第に波間に沈み、 敵彈いよいよあたりに繁し。
三、今はとボートにうつれる中佐、 飛來る彈丸に忽ち失せて、
旅順港外、 恨ぞ深き、 軍神廣瀬と其の名殘れど。
廣瀬武夫海軍中佐は、このように、唱歌で歌われ、修身教科書にも載るほどの偉人であった。この歌からは、部下への思いやりを通じて、人の上に立つ者としての責任感が伝わってくる。しかし、戦後、学校教育の場から、完全に姿を消してしまった。これに呼応するかのごとく、利己的な「無責任時代」が現出することになる。
中佐は、大分県竹田市の人である。教科書からは消えていたものの、さいわい、子供の頃、郷土の英雄として、さんざん聞かされた。同県人に対する当時の評価は、「社会科」の福沢諭吉など足許にも及ばず、「音楽」の滝廉太郎と双璧であった。大分県護国神社は、自宅の裏山にあり、格好の遊び場だった。中佐がここに祀られていることで、自分の守護神のように思い込み、安心したものである。
無責任がはびこる現代社会にあって、“廣瀬中佐の精神”がまだ生きている、と思ったのは、9.11アメリカ同時多発テロの際である。NY貿易センタービルの邦人企業で、部下を先に避難させ、自分が最後まで残って殉職してしまった幹部社員のことが報じられた。いかに教科書から抹殺しようとも、日本人のDNAの中には、尊い“自己犠牲の精神”が組み込まれており、それが生き続けているのである。
2006年3月5日(日)の記事
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