今年の日本シリーズ阪神対オリックスは、阪神が4勝3敗(○●●○○●○)で日本一となった。自分はサッカーより野球が人気の時代に育った。個人的にもサッカーのルールはよく分からないが、野球なら人後に落ちない自負がある。ただし、球場に足を運ぶことがなければ、TV観戦もしなくなって久しい。したがい、自分の知識は昔のもので、ボールカウントでボールでなくストライクを先に告げる時代の話である。どうして観なくなった? 野球というよりパワーありきの米国流ベースボールに近づきつつあるからだ。
野球はベースボールの邦訳だが、直訳するなら「塁球」となるはずだ。野球競技施設は日本語では総て球場だが、英語(米語)にはボールパーク、スタジアム、フィールドなどいろいろな表現が使われる。飽くまで想像だが、おそらくこのうちのフィールド(野原)が野球の語源になったのではないか。
面白いことに、今年の米大リーグ(MLB)ワールドシリーズで、テキサス・レンジャースの初優勝を許したアリゾナ・ダイヤモンドバックスが、NPB(日本プロ野球)流スモールベースボールで話題となった。 何でもトーリ・ロブロ監督が嘗てヤクルトでプレー(2000年)したことがあるらしい。若松勲監督時代に当たるが、前任者野村克也監督の影響大だったのかも。大リーグでは殆ど見られない犠牲バントや進塁打を多用するなど、日本野球を採り入れた采配で新風を吹き込んでいる。
自分が初めて野球観戦したのは何時頃だろう。今はなき春日原球場(現福岡県春日市に在った)で西鉄・東急戦を観た記憶があるから、1953年10月ということになる。幸い、プロ野球に関する様々なデータがアップされている。選手名まで憶えているのは1954年(小学一年生)頃からかな。この年、西鉄がリーグ初優勝。日本シリーズでは中日に3勝4敗(●●○○●○●)で敗退した。
1954年日本シリーズ第一戦(中日球場)先発メンバー
中日ドラゴンズ(天地俊一監督-30-) 西鉄ライオンズ(三原脩監-60-)
①(中)本多 逸郎- 9- ①(二)今久留主淳- 1-
②(右)原田 徳光- 8- ②(遊)豊田 泰光- 7-
③(一)西沢 道夫-15- ③(三)中西 太- 6-
④(三)児玉 利一-14- ④(右)大下 弘- 3-
⑤(左)杉山 悟- 4- ⑤(左)関口 清治-27-
⑥(捕)河合 保彦-22- ⑥(一)河野 昭修- 9-
⑦(二)井上 登-51- ⑦(中)高倉 照幸-25-
⑧(遊)岡嶋 博治-12- ⑧(捕)日比野 武-12-
⑨(投)杉下 茂-20- ⑨(投)西村 貞明-20-
ファンであるがゆゑに西鉄の選手は平和台球場で実戦に接しており、背番号を含めて全員の記憶があるが、福岡では未だテレビ局もなかった時代のこととて、中日で名前を知っていたのは西沢、児玉、井上、杉下ぐらい。それも後年の活躍で覚えた可能性を否定できない。
1954年(昭和29年)日本シリーズ 中日 西鉄 第1戦
今久留主、豊田、中西、大下、西村、ナマで観て来た選手だけにみんな懐かしいなあ。とりわけ本塁打を放った日比野捕手。オッサン然とした走塁の鈍足で知られ、実際にライトゴロ死するのを複数回目撃している。それにしても、のんびりした日本シリーズだったんですねえ。今と違うのは、監督自ら三塁コーチャーズボックスに立ち、選手と一緒になって試合に参加していたということ。
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