「ニホンノセイダーズ」と民主主義の敵
安倍氏の「美しい国、日本」をスローガンに自虐教育からの脱出
大原浩氏が緊急寄稿
2022.8/1 06:30 配信/zakzak(夕刊フジ)WEB版
安倍晋三元首相が凶弾に倒れてから3週間あまりが経過した。民主主義の根幹を否定する暗殺事件にもかかわらず、一部勢力は死去したいまも安倍氏への攻撃を続けている。国際投資アナリストの大原浩氏は緊急寄稿で、何でも安倍氏のせい、ひいては日本のせいにする一派こそ、民主主義の敵だと指摘する。
安倍氏は参院選の投開票日を前にした8日、「民主主義の言論」で平和的に有権者に語りかけていたところ、暴力的な凶器で暗殺された。
90年前、1932年の「五・一五事件」では、「話せばわかる」と民主主義の原則を貫徹しようとした犬養毅首相を青年将校たちが撃ち殺した。
戦後、このような暴力至上主義は徹底的に批判され、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)もそれを後押しした。
その代わり、日本を二度と反抗できない国にするための教育が徹底的に行われた。
安倍氏はそのような状況に対して「美しい国、日本」をスローガンにした。日本人が「自虐教育」の洗脳から解放され、誇りを取り戻すことに尽力したのだ。
9月27日の日本武道館における国葬が決定した背景には、世界中の国々の首脳たちの弔意を表したいという強い希望がある。実際、7月12日に増上寺で執り行われた葬儀の際には、259カ国・地域から1700件もの弔意が伝えられた。
世界の人々の心に強く残る存在となった安倍氏が懸命に戦ってきたのが、自虐教育によって日本を駄目にしようとする勢力、要するに「アベノセイダーズ」である。
彼らは「日本人が誇りを取り戻し、世界の中で正当に評価される」ことに我慢がならないのだ。そして、聞くに堪えない、品性のかけらもない暴力的な言葉で、安倍氏を引きずり下ろすことに熱狂した。
われわれが見過ごしていることがある。明治政府を牽引し現在の日本の礎を築いた伊藤博文を1909年にハルビン駅頭で暗殺したテロリストである安重根の記念碑が宮城県に存在し、県による案内看板まで設置されていることである。
このようなテロや暗殺に対する国内での甘い認識が、今回の安倍氏暗殺事件の遠因ともいえ、その責任は重い。
安重根は、何でも日本が悪いと叫び続ける「ニホンノセイダーズ」の走りともいえる。韓国においては日本に統治されながらも、戦前からこうした勢力が強く、戦後、日本が長年にわたってそれに悩まされているのは周知のとおりだ。
今こそ、われわれは安倍氏の「美しい国、日本」をスローガンに、自虐教育から脱出し、世界の中で大国としてふさわしい役割を果たすべきだ。異常に人口が多い共産主義中国に抜かれたとはいえ、日本は世界第3位の国内総生産(GDP)大国である。
韓国の「ニホンノセイダーズ」は今でも騒がしいが、自虐教育の洗脳を取り払えば、「日本が韓国に謝罪すべきこと」が存在するのかどうかさえ怪しい。もし存在したとしても、必要な量の1000倍、1万倍はすでに謝罪し、補償も湯水のごとく行った。むしろ韓国は日本の領土である島根県・竹島の不法占拠など、鏡で自分の姿を見て反省すべきことがあるのではないか。
自己反省ゼロで、ひたすら相手の非を探し出し、時には捏造までしてわめき散らす。これこそが「相手を尊重して話し合う」民主主義の危機だ。
われわれが安倍氏の遺志を継いでこのような勢力を排除して「美しい国、日本」を取り戻すことが最大の供養になるのではないだろうか。
■大原浩(おおはら・ひろし) 人間経済科学研究所執行パートナーで国際投資アナリスト。仏クレディ・リヨネ銀行などで金融の現場に携わる。夕刊フジで「バフェットの次を行く投資術」(木曜掲載)を連載中。
コメント総数;203件
一、何はともあれ、教育改革は急務でしょう。日本の大学ではどうにもならんし、それを必死で目指す学生職君にも不安しか感じない。そんなことより、英語を話せるようになることの方がメリットが多いと思うのだが。その自虐教育のせいなのか。日本人は英語を嫌うよね。現状、もっとも世界共通語に近い存在にも関わらず。英語が話せるだけでほとんどの国の人とコミュニケーションが取れるんですよ。機械翻訳では知人としかコミュニケーション取れないでしょ。英語が話せれば初対面でもコミュニケーションが取れるんですよ。今どき、東南アジア諸国の小学生でも英語くらい話せるというのに。特に教育しなくても自国語のYoutubeチャンネルが少ないから自然に英語が身に付くらしい。日本語も漫画やアニメで身に付くのと同じだね。それが何故か日本人は出来ない。親切に何でも翻訳しちゃうからな。それを鵜呑みにするのもどうかと思うが
二、右も左も誰も彼もが民主主義のためにと言う。なのに彼らは誰一人として議論をたたかわせることなく相手を陥れることに熱中している。民主主義を実践出来ている日本人はいない、それが現実だ。
三、ニホンノセイダーズ?ジョー・サンプルやウイルトン・フェルダーでおなじみの、クルセイダースと掛けましたか?大原氏は音楽ファンなんですか?だとすると、洒落が効いてますが、あまり一緒にしないでいただきたい。
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筆者のことをよく知っているわけではないが、夕刊フジや現代ビジネスのWEB版で偶々目にする機会があり、興味深く拝読している。第一「ニッポンノセイダーズ」というネーミングからして面白いではないか。何やら昨日アップした前稿の続きみたいなジャーナルだが、切り口が荒唐無稽なのが愉しい。
要するに大原氏は、暴力を肯定するかのように振る舞う韓国世論(「輿論」ではない)を「ニッポンノセイダーズ」と名付け、〝民主主義の敵″と揶揄しているのだ。しかし、コメント欄は意外に否定的意見が多い。
ところで、田中英道東北大名誉教授によると、戦後の国際学界をリードしてきたのが表向きフランクフルト学派と呼ばれる世界各国に散ったグローバル(左派系)ユダヤ人なのだとか。これに対し、イスラエル建国以来、国内に留まって活動する人々をナショナル(右派系)ユダヤ人と称するらしい。
ユダヤ民族(=ヘブライ人=イスラエル人)の手になるユダヤ教・キリスト教・イスラム教という宗教に莫大な興味がある。三者ともに旧約聖書が元になっている。その旧約聖書で有名なのが「目には目を、歯には歯を。」の一節である。簡単に言えば、〝やられたらやり返せ″との頗る好戦的な教えである。
キリスト教の始祖イエス・キリスト(BC1-AD33)もユダヤ人だが、旧約聖書(ユダヤ教)と異なる布教活動を行ったため、異端視されてユダヤ民衆により磔刑にされる(実行は占領古代ローマ帝国軍)というのが新約聖書物語である。彼の教えは、〝左の頬を打たれたら右の頬を差し出せ″〝汝の敵を愛せよ″などと旧約とは正反対なことを説いている。キリストの教義は釈迦(BC7-5世紀頃)にも似て仏教的な慈悲深さ(利他主義)が窺える。なお、キリストは「神」ではなく「神の子」という位置付けになっている。
何が言いたいかというと、西洋&中東(アラブ)の宗教的背景には土地・食糧・資源などを巡る「奪い合い(利己主義;エゴイズム)」の歴史があるということ。東洋に於いても、仏教が根付いたのは日本とチベット・モンゴル及び東南アジア(インドシナ地域一帯)だけだ。無論、ゲゼルシャフト(利益体)先進国の特亜三国(中国・北朝鮮・韓国)で仏教が廃れたのは歴史的必然である。
宗教を持ち出したのは、個々の土地にはそこで暮らす人々に固有の思想(考え方)があって然るべきと思うからだ。先述の田中教授は、ユダヤ教・キリスト教(旧約部分)・イスラム教や我国の神道などは、(諸民族の)集団宗教に属すると解いている。これに対してキリスト教(新約部分)・仏教などは個人宗教の範疇なのだとか。教授説を採るなら、集団宗教・個人宗教の両方を兼ね備えた人々こそが、「対立の構図」を超克できるのではないか。これは、私奴の勝手な想像に過ぎない。
集団宗教の「利己=エゴ」に対し、個人宗教たるキリスト教(新約)が説く〝アガペー/(神の人間に対する)自発的な無償の愛″や仏教的〝慈悲心″などは、多分に「利他」から出た哲学であろう。
【利己】
自分の利益だけを考え、他人のことは顧みないこと。≒私利私欲
【利他】
① 他人に利益となるように図ること。自分のことより他人の幸福を願うこと。
② 仏教語。人々に功徳・利益を施して救済すること。特に、阿弥陀仏の救済をいう。
極論するなら、個人宗教を持たない人々や宗教を否定する共産圏では、「利己」しかないから、我儘勝手な振る舞いに陥り易いということ。またキリスト教(新約)圏の欧米の人々も高貴な身分のみに求められるノブレスオブリージュを、我が一般国民が普通に備えていることに対する驚愕と畏怖があるのだ。
【ノブレスオブリージュ】-noblesse oblige-フランス語
身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会における基本的な道徳観。もとはフランスのことわざで「貴族たるもの、身分にふさわしい振る舞いをしなければならぬ」の意。
昨今のニッポン・ブームは、安倍元総理の功績を認めた上で言いうなら、利他精神に根ざした高い道徳観を備えた我が国民性に因るところが大きいと言わずばなるまい。
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