เกลียดนักผู้ชาย(男嫌い)
by บุปผา สายชล(ブッパー・サイチョン)
原曲は城卓矢『骨まで愛して』(昭和41年)。前回の『港町ブルース』にせよ、こういうド演歌はタイ音楽にはないから日本曲とすぐ判る。オリジナルがステレオなのに対し、後発カヴァー盤のこちらがモノラル録音とはあべこべではないか。まあ、録音技術面でも、日米欧が最先進国でしたからね。CD実用化当初(1982年)、製造技術を有するのは日・蘭。西独・英。米の五か国だけであり、中台韓や東南アジアなどのCDは全て日本で受託生産されていたのですよ。
สวัสดีญี่ปุ่น(こんにちはニッポン)
by พุ่มพวง ดวงจันทร์(プンプワン・ドゥアンチャン)
原曲は坂本九『上を向いて歩こう』(昭和36年)。歌うプンプワン(1961-1992年)は早逝したこともあって〝ルークトゥンの女王″みたいに祭り上げられているが、人気者ゆゑにこんな座興紛いの三流録音も残されたということか。因みに原曲は、彼女が生まれた年のヒット曲。後に欧米でも『スキヤキ』の曲名で発売され、ヒットチャート第一位にもなった。初訪泰時(1989年)、バンコック屋台オバサンの薦めで買った音楽カセットテープに入っていた。
เงารัก(愛の影)
by ไบรอัน-เพ็ญโพยม(นพเก้า)(ブライアンとペンパヨム[九博士])
原曲は高峰三枝子『南の花嫁さん』(昭和17年)。というより、任光作曲の二胡曲『彩雲追月』のタイ語盤といったところか。そもそも『南の花嫁さん』自体、表向きは作詞;藤浦洸/作曲;古賀政男だが、明らかに『彩雲追月』からの採譜と観られる。著作権など問題とならなかった戦前の話である。なお任光は、『南の花嫁さん』が世に出る前年、即ち1941年国共内戦中に共産党軍兵士として戦死している。
รักฉันนั้นเพื่อเธอ(貴方のために私を愛して)
by พิงค์แพนเตอร์(ピンクパンサー)
原曲は渥美二郎『夢追い酒』(昭和53年)。歌うピンクパンサーは、1980年代タイ国内で大流行したエレキバンドの一つ。日本で興ったブームから凡そ十年遅れでタイにもやってくるといった構図になるようだ。
ดอกไม้ของน้ำใจ(優しい花)
by สาว สาว สาว(サウ・サウ・サーウ)
原曲は『花』(谷村新司)だとか。YouTube映像が来日した1989年のものだから、元歌はこの時既に存在していたことになる。元歌自体を知らなかったゆゑに、タイオリジナルかとも思っていたが、然る方に教えてもらってようやく合点がいった次第。
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以上、二回に渡ってタイ歌謡界の日本起源曲を聴いてみた。不思議なことに、何れも昭和期の曲ばかりだ。平成・令和となって日本歌謡界の衰退とともに、諸外国に於いて見向きもされなくなった、ということだろうか。
〝喪われた三十年″とも呼ばれる昨今の景気低迷のせいか、はたまた流行り病(武漢肺炎)のせいか、そうも昔年の活気・活力が感じられない。この虚脱(無気力)感は、1980年代中国がそうであった。人間で溢れているのに、みんな無表情でまるで人形のように思えた。現代に至って中国の「躺平主義」が我国にも伝染したかのようだ。おお、やだやだ。
【躺平主義】-タンピンしゅぎ-
現代中国一部若者のライフスタイル兼社会抗議運動。別名〝寝そべり族″
具体的には、〝不買房、不買車、不談恋愛、不結婚、不生娃、低水平消費″(家を買わない。車を買わない。恋愛しない。結婚しない。子供を作らない。低水準の消費。)を実践。
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