辻監督よ、西武を立て直せ!
パ・リーグをひっくり返すのだ/廣岡達朗コラム
1/21(金) 11:01配信/週刊ベースボールWEB版
■最下位になったのは指導者の教え方が悪いから
西武時代に教えた石毛宏典(現野球評論家)、辻発彦(現監督)と会った。
西武ライオンズは昨年、42年ぶりの最下位になった。前回の最下位は1979年の球団創設1年目。根本陸夫さんが監督のときだった。
その後、82年から私が監督を務め、森祇晶、東尾修、伊原春樹、伊東勤、渡辺久信、伊原、田邊徳雄、辻と歴代監督がバトンを受け継いできた。80年代から90年代にかけては黄金時代とも称されたが、伝統は歳月とともに薄まり、ジリ貧になった。
私の後任の森の責任は重大だ。森は見る目があって私が育てた選手を運用することには長けていたが、教えることができないという致命的な欠点があった。
それが露呈したのは2001~02年に横浜(現DeNA)の監督を務めたときだ。1年目が3位、2年目は最下位で辞任。巨人OBが他球団の監督になって失敗するのは“巨人流”をやろうとするからだ。巨人流とは何か。一軍で少し成績を残せなければすぐに二軍行きを通告。戦力が豊富な巨人では取って替わる人材がいくらでも控えていたが、同じことを弱いチームでやったら選手がいなくなってしまう。結局、森は選手を育てることができなかったのだ。
私が幸いだったのはヤクルト監督就任にあたって、松園尚巳オーナーから「縁があってウチに入団した選手を育てて勝ってくれ」と言われたことだ。その結果、ヤクルトは球団創立29年目にして初優勝、日本一を成し遂げることができた。
巨人で勝ったからといって名将にはならない。弱いチームを強くしてこそ名将なのだ。
昨年、西武が最下位になったのは首脳陣の教え方が悪かったからだ。
栗山巧は今季39歳のシーズンを迎えるが、教えることはまだ多い。打撃で捕手の方向へテークバックして、そこから右足を踏み出したら二段モーションになって真っすぐを打つのが遅れてしまう。私がチームを預かったら、こうすればお前の素材はもっと生きると言って栗山を使う。
チームを率いる辻監督は84年に入団。西武の黄金期にわれわれが教えた選手だ。だからと言って、当時の野球を基準にモノを教えたら勝てない。目の前の選手を本気で伸ばしてやろうと思って「こうしなさい」「ああしなさい」と指導するのが監督でありコーチの仕事なのだ。にもかかわらず、どの球団の首脳陣も勘違いして選手の自主性に任せてしまう。そのやり方は選手に好かれるかもしれないが、私に言わせれば指導者としての責任のなさを恥じるべきだ。
■盟主復活への活路は「やるべきことをやらせる」
スカウトは素材が良い選手を獲得する。その選手を預かって「俺の言うとおりにやれば、お前の素材は花開く」と言って教えれば、人間はガ然、やる気を起こすのだ。これをしたら罰するという規律もチーム内で打ち出すべきだ。選手を安心させてはいけない。やるべきことをやらせる。盟主復活への活路はそこにしかない。
私が西武の監督を打診されたとき、西武関連の本を買って読んだ。クリーンなイメージを抱いた。挨拶の仕方から何から規律がしっかりしていた。そうした親会社の社風は球団にも好影響を与える。いまはどうだろう。太っている選手はいる茶髪はいる。これをもう一度、律するのは辻監督の役目ではない。新しく就任した奥村剛球団社長がビシッと言うべきだ。
辻監督よ、西武を立て直せ。パ・リーグをひっくり返してほしい。
『週刊ベースボール』2022年1月31号(1月19日発売)より
●廣岡達朗(ひろおか・たつろう)
1932年2月9日生まれ。広島県出身。呉三津田高、早大を経て54年に巨人入団。大型遊撃手として新人王に輝くなど活躍。66年に引退。広島、ヤクルトのコーチを経て76年シーズン途中にヤクルト監督に就任。78年、球団初のリーグ制覇、日本一に導く。82年の西武監督就任1年目から2年連続日本一。4年間で3度優勝という偉業を残し85年限りで退団。92年野球殿堂入り。
コメント総数;44
一、巨人OBで決めつけてるけど中畑さんは我慢して筒香を育てたんだから一概にくくって欲しくないと思うし、何か森さんがディスられただけの記事に思えるけど。
プライドの塊みたいな人だから現役時代を初め監督、GM時代も人間関係で退団しているのでああしなさいという指導法は違うと思う。
二、パ・リーグを面白くするとすれば、昨年の5位と6位。ファイターズとライオンズです。
広岡さんの激励の通り、辻監督と選手の皆さん、大変なことかもしれませんがチームの立て直しと今年のチームの躍進よろしくお願いいたします。
三、ヤクルト、西武いずれも当時のダメチームを優勝させた広岡さんの言葉は重い。選手も外見や見かけで目立つ必要はない、目立つなら人並外れた数字、成績、順位で目立つことに徹するべきだろう。そうすれば文句は言われない。最下位なのだから現状を肯定するような甘えはプロとしてみっともないそういうことなのだろう。
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廣岡氏の「教える」とは、【教育】の訓読みを〝おしえそだてる″と解釈して遣っていると思う。しかし、〝おしえはぐくむ″と読ませる場合とは微妙に意味が異なる。
【育む】-はぐくむ-
① 親鳥がひなを羽で包んで育てる。
② 養い育てる
③ 大事に守って発展させる。
【育てる】-そだてる-
① 【育む】②に同じ。
② 能力などが伸びるように教え導く。
③ 手なずける。おだてる。そそのかす。
【育む】と【育てる】の境界線は、「愛情」の度合だろう。【育てる】③は極端だが、少なくとも「愛情」が必須要件ではない。選手は野球を生業としているわけだから一種の社会(職業)教育の範疇、よって廣岡氏の指導法は強ち間違いとは言えまい。ところが、学校教育とりわけ義務教育に於いて、師弟間の「愛情」が必須条件となる。
個人的には、「教える」という言葉が嫌いだ。「教える」側と「教わる」側が上下関係になるからだ。被教育者(教わる側)本位で考えるならば、「教わる」より「学ぶ」姿勢こそ重要だ。何を教わろうと、関心がなければ〝馬の耳に念仏″に等しい。翻って教育者(教える)側は、「教える」より「学ばせる」ことこそ肝要ということ。
教育用語で「学習」のほかに「勉強」という言葉がある。「学習」には、突き放すような冷たい響きがあるが、「勉強」には泥臭い人間味を感じる。何故かと思ったら「勉強」には〝努力して困難に立ち向かうこと″という意味があるらしい。廣岡氏を学習派とすれば、対照的な勉強派に中西太氏が居る。阪神監督時代、エモやんに「ベンチがアホやから野球でけへん」と言わしめた張本人である。監督としては大成しなかったものの、野球の虫と言っていいほど研究熱心で、多くの強打者を育てている。典型的なコーチ(脇役)タイプで選手からの人望も厚かった。
関係ないけど、漢文上の「勉強」は〝しぶしぶ(いやいや)やる″というとんでもない正反対逆の意味に遣われるので要注意。
福岡から大分へ転校した小四時分、『少年猿飛佐助』(東映/昭和33年)という檀一雄原作の映画を観た。伝授法の奥義と思しき場面がある。弟猿飛佐助(植木基晴→中村賀津雄)の弱虫ぶりを嘆いた姉おマア(丘さとみ)が父の墓前で愚痴っていると、髭の戸隠老人(薄田研二)が夢枕のように現れて、大意次のように語る。
お前の弟は身体が弱いし意志も弱い。姉に心配かけまいとする心が嘘を作ったのだ。他人に出来ることを自らもやってみようという勇気がない。勇気は与えられるものではない。自ら掴み獲るものなのだ。
おマアが佐助に手本を示そうと丸木橋を渡る際、踏み外して谷底へ落ちる。驚いた佐助は無我夢中で断崖絶壁の谷底へ駆け降りて行く。我を忘れることで勇気を得た瞬間である。
☆『少年猿飛佐助』主題歌
我国の伝統的な教育鉄則は、「教える」より「学ばせる」ことにある。
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