すべてを諦め「寝そべる」中国の若者たち
…それでも政府のことは賛美する不思議
6/8(火) 19:13配信/Newsweek日本語WEB版
<中国の若者たちの間で、資本家への抵抗として急激に広がる「タンピン」主義が見落としている重要な事実>
王さんはごく普通の大学生だった。卒業後、大都会の会社に就職して食費を切り詰め節約し、3年間でやっと5万人民元(85万円)をためた。しかし故郷でも不動産価格は最低1平方メートル当たり1万人民元。しかも高騰し続けている。休まず毎日残業するほど働いても、給料では不動産に手が出ない。マイホームを持てなければ結婚もできない。全ては自分と無縁。なら「タンピン」するしかない──。
「タンピン」は中国で最もはやっているネット用語だ。何もせず横になって寝るという意味だが、転じて全く努力せず、ただ最低限の生活を送ることを指す。今の中国では王さんのような何千何万もの若者が「タンピン」主義を選ぶ。彼らはどんなに努力しても運命を変えられず、将来に希望を見いだせない。
「われわれはタンピンを選んだ。これ以上、資本家たちのために働かない。何か間違ったことがある?」と、王さんたちは言う。普通の労働者は働けば働くだけ資本家に搾取される。「タンピン」こそ資本階級に抵抗できる有効な手段だ、と彼らは考える。
「資本家に搾取される」──この言葉が社会主義中国に現れるのは不思議なことだ。共産党が1949年に新中国を建国したのは、資本家の搾取をなくすことが目的だった。72年間を経て、この世界一の社会主義強国の若者たちは資本家に搾取され、「タンピン」でしか対抗できないと公言している。
しかし、王さんたちは「われわれは資本家らの企業のために残業や努力をしない。しかし国家のためには何でもやる」とも言う。努力しても未来が見えない、頑張っても自分の運命を変えられない。王さんたちはこれを体制の責任とは思わず、資本家に搾取と貪欲の罪をかぶせる。「タンピン」を選んだ中国人の若者の中には、ネット愛国者の「小粉紅」も少なくない。彼らは欧米に対する中国政府の強硬な態度を賛美するが、目の前の現実にはあまりにも無力で「タンピン」しか選べない。
そして王さんたちは一つ大事なことを忘れている。それは彼らが愛している中国が社会主義公有制国家であることだ。土地と生産材は全て国に属する。つまり、この国を管理している政府こそ、最大の資本家なのだ。
<ポイント>
■小粉紅
シャオフェンフォン。1990年代以降に生まれ、「完全に赤く染まっていない未熟な共産主義者」を指す。中国語で小粉紅は薄ピンク色を意味することに由来する。
■社会主義公有制
全人民所有制と労働者集団所有制が伝統的な社会主義公有制。中国でも次第に生産力発展の阻害要素となり、農村の人民公社解体や国有企業の株式制導入が進んだ。
ラージャオ(中国人風刺漫画家)/トウガラシ(コラムニスト)
コメント総数;18
一、中国では、政府は勿論、中国共産党を賛美しないと生きていけないことを、この記事の筆者は忘れているようです。
結局、賛美しているように見せかけて、諦めという最大限の抵抗を示しているのです。
中国共産党の核心的利益は、結局、独裁の維持であり、富と権力の集中に尽きます。
中国共産党の中枢は、それこそが、中国14億人の人民の最大幸福の源泉なのだと嘯きます。
共産党を名乗りながら、人民を搾取して、骨抜きにしてしまうなんて、中華人民共和国という変則的中華王朝の終わりの始まりかも知れませんね。
二、体制批判は即逮捕の中国では「国家のためには何でもやる」と言わなければならないのでは?
多分、王さんたちは「中共が最大最悪の資本家」である事に気付いている、と思いたい。そしてこうした形からでも中国に反中共の気運が起こり拡散する事を期待したい。
三、中国共産党さえ褒め称えておけば、喰いっぱぐれないからな。総五毛党化、待った無し。
五毛党とは、中国共産党から金銭を受け取りネット世論工作を行う守銭奴どもの事です。
先々稿『悟りを開いた中国若者』(6月1日付)で同じ「躺平主義(たんぴんしゅゐ)」のニュースを話題にした。前回は反中共色が鮮明な大紀元時報(亡命中国人運営)だったが、今回はリベラル左派系米国誌ニューズウィークである。
ともに米国を拠点とするニュースサイトだが、独自の現地(中国国内)情報を持つ大紀元情報と、現地特派員が駐在しているとはいえニューズウィークは、中国人から観れば外国メディアに過ぎない。記事を一瞥しただけで誰を利するための情報なのかが判る。自分は一般庶民の立場を代弁する記事を好む。ニューズウィーク誌が中共の手先とまでは思わないが、政治プロパガンダ臭を嗅ぐのは、中共に体よく利用されているような気がずる。コメントが指摘するように、民主国家と異なり、彼国では中共(=国家)批判が生命に関わるからだ。天下のニューズウィークより、コメント(一般日本庶民)のほうが、現実を正確に把握していると言える。
おそらく、文中の「王さん」、レポーター(執筆者)の中国人風刺漫画家氏、コラムニスト氏ら全て仮名だろうが、ホンネで語っているとは思えない。監視・密告社会を生き抜くために、苦心の末「躺平主義」に奔ったのに、匿名とは言えわざわざ身の危険を冒して国家・中共批判をする道理がないではないか。国家の上に君臨する中共幹部さえ自国を信用してないのに、一般中国人民に「愛国心」など育つはずがなかろう。あるとすれば、中共の侵略で国を失くしたチベット人、ウィグル人、モンゴル人らの〝主権回復″という形での「愛国心」だけである。
中国社会は、我国で言う「裏(極道)社会」が表社会を罷り通る歪んだ構造になっている。「極道」とは悪行を重ねる者を指す語である。要するに、中国社会ではクソ真面目でバカ正直な堅気衆が真面に生きていけない世の中ということ。
話は逸れるが、蒋経国時代の(「台湾」というより)中華民国で、映画館に入ったことがある。上映前に観客全員が起立して国歌『三民主義』の斉唱、続いて中国共産党敵視の政治プロパガンダ映像が流される。その中共は「共匪(きょうひ)」と呼ばれ殲滅すべき対象とされる。因みに「共匪」とは共産党の仮面を被って殺人掠奪を繰り返す盗賊集団、という意味だとか。言い得て妙ではないか。肝腎の上映映画の内容まで殆ど憶えていない。確か青春コメディの香港映画と武侠物台湾映画の二本建だったと思う。中文&英語字幕入りだったことだけが印象に残っている。香港映画は広東語なので中文字幕も頷けるが、国産映画も中文&英語字幕付とは畏れ入る。台湾語が母語の台湾人民にとって、戦前は日本語、戦後は北京語が公用語という哀しい現実が横たわっている(←これ「躺平」?)。
書きたかったのは。他でもない「仁(じん)」という漢字に纏わる話である。明治以来、皇室男子には「仁」の御名が継がれる習わしになっている。「仁」には、他者への思い遣り・情け・慈しみ、といった意味があり、中国儒教思想の最高徳目とされ、他人と親しみ、思い遣りの心を以て共生を実現しようとする実践倫理、なのだとか。
我国の精神的三本柱を、三種の神器に准えて、「智(鏡)・仁(勾玉)・勇(剣)」に喩えられるが、そのうちの「八尺瓊勾玉」のみ皇室秘蔵の神器とされるのが興味深い。我国が「仁政」を旨とする政事(まつりごと)を心がけた伝統が偲ばれる。翻って現代中国はどうか?孔子の教えとは裏腹な、圧政国家と成り果てているではないか。無理もない、盗賊(中国共産党)が国家の上に君臨しているのだから、馬の耳に念仏というか馬耳東風なのも致し方あるまい。
孔子様の教えを実現しようとしてきたのが我国であったことから推量するに、日本と中国では、真逆の社会構造と言わざるを得まい。
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