大震災から10年
中国人が今も感動している、日本人が自然に取った「ある行動」
3/11(木) 7:15/中島恵(ジャーナリスト)
東日本大震災の発生から10年。あの日の未曾有の出来事は、多くの人の胸に今も深く刻み込まれているが、それは日本人だけに限らない。日本に住んでいた外国人や、日本と関わりが深く、外から日本を見ていた外国人にとっても同様だった。10年前にインタビューした中国人の声をお届けする。
■私よりもっと大変な人がいるんですから
当時、日本への留学を目前にしていた上海在住の20代の男性がいた。男性は日本行きの準備をしながら、上海市内の自宅のテレビで被災地の様子を見ていて、とても驚いたことがあったという。
「テレビに映っていた被災者の方々が、取材者に対して、『大丈夫です。私より、もっと大変な目に遭っている人が大勢いるのですから』とほぼ全員、口にしていたことです」
長い間、列に並んで、やっとパンを1個もらえるという厳しい状況なのに、自分のことは我慢して、ほかの人に食料を分け、貴重な毛布まで渡してしまう。あの見事な自己犠牲の精神は、震災を経験しなければ、日本に住んでいても気がつかなかったことでしょう。それまで、日本人は贅沢で、他人のことには無関心だと思ってきましたから」
この男性は今も日本に住み続けているので、連絡を取ってみたところ、「ふだんの日本人は冷静であまり感情を表に出さないので、気持ちがよくわからないことがよくあるんです。でも、あんなに悲惨な災害に遭ってしまったことで、ふだんは決して見られない日本のすばらしい一面を見ることができました」と話してくれた。
20年前に東京に留学した経験があり、その後、上海で教師となった女性も、あのとき、食い入るように震災のニュースを見ていて、いくつか気がついたことがあったと、当時、私のインタビューに応じてくれた。
1つ目は、着の身着のままで逃げ出した被災者の服装がみんな小ぎれいで、仮設住宅も立派だったことだ。
■中国人を津波から守ってくれた日本人
「四川大地震の映像を見た自分としては、率直な感想でした。日本人はどんなに混乱していても、服装はきちんとしている。仮設住宅といったって、最低限の生活はできる。私はそういう日本の全体的な質の高さにびっくりしたんですよ。あのとき、寒いのに、節電しなくちゃいけない。大変だ大変だ、といっていたでしょう? でも、駅の明かりは、私が住んでいた田舎よりもずっと明るかったんですから」
震災の混乱の中、中国で最も大きく報道されたニュースのひとつは、宮城県女川町の水産加工会社「佐藤水産」の佐藤充専務が、中国人研修生20人を誘導して避難させ、津波から守ってくれた、という感動的なエピソードだった。佐藤さんは、中国人たちを安全な高台に移動させたあと、自らは高台から降りて、津波の犠牲になってしまい、帰らぬ人となった。このニュースは中国でも大々的に報道された。
この女性は「地震発生の当初、中国のSNSなどでは、日本の不幸を嘲笑するような書き込みも少なからずあったのですが、このニュース以降、ピタッと止まりました。日本人の犠牲の精神に感激する書き込みが急激に増えたんです」という。
■日本人は自然にやっていることだが……
この女性にも、震災10年を前に、久しぶりに連絡を取ってみた。
「佐藤充さんのお名前を今も覚えている中国人は少なくないと思います。あのころ、中国人の対日感情はあまりよくなかったんですが、あのニュースで、日本を見る目がガラッと変わったと記憶しています」
もう1つ、女性が気がついたのは、震災の翌週から、何とかして出勤しようと駅に何時間も並ぶ日本人の理路整然とした姿だった。
「あんなに大変なことがあったのに、すぐに会社に行こうとするなんて……。しかも、出勤のときも、退勤のときも、駅の階段の端に並んで、階段を行き来する人のために道をあけていることに、とても驚きました。駅員さんとか、誰かに指示されたわけではないでしょう? 日本人は自然に取っている行動だったんでしょうけれども、あのきちんとした、そして静かな行列を見て『あんなこと、中国人にできる日は来るんだろうか』と感心したものでした」
「実際、あれから10年もの月日が経って、中国と日本の関係は変わったし、中国はものすごく豊かになりました。上海の人々のマナーもずいぶんよくなったのですが、でも、いざ大混乱が起きたとき、とっさにああいう行動が取れるだろうか……と考えると、私は今でも自信がありません。だから、私は学生たちに、あのとき日本人が取った行動の尊さを教えているんです。ええ、きっと、これからも、教え続けることでしょう」
★中島恵(なかじまけい)
1967年山梨県生まれ。フリージャーナリスト。著書は最新刊から順に「中国人のお金の使い道」(PHP研究所)、「中国人は見ている。」、「日本の『中国人』社会」、「なぜ中国人は財布を持たないのか」「中国人の誤解 日本人の誤解」、「中国人エリートは日本人をこう見る」(以上、日本経済新聞出版社)、「なぜ中国人は日本のトイレの虜になるのか?」、「中国人エリートは日本をめざす」(以上、中央公論新社)、「『爆買い』後、彼らはどこに向かうのか「中国人富裕層はなぜ『日本の老舗』が好きなのか」(以上、プレジデント社)など。中国、香港、台湾、韓国などの文化、社会事情&ビジネス事情を取材し、ネットや書籍等に執筆している。
筆者については全くの不知だが、政治色を感じさせない内容なので採り上げてみた。日本人の心情(所謂「大和魂/やまとごころ」)を政治と切り離して考察してみたかったからだ。近世(江戸時代)に入ると、我国民心情に対して唐心(からごころ)なる語が造られている。文字通り唐国(現中国)を表現したのかもしれbないが、個人的には外来心情全般を指す普通名詞と捉えている。
我ら日本人の心情が、台湾を除く近隣諸国(中国・韓国・北朝鮮)と大きく異なる理由は簡単だ。万世一系の天皇を戴く我国と、易姓革命を繰り返してきた歴史しかない特亜三国とでは、物の観方考え方が180度違って当然だろう。性善説的高信頼型社会と性悪説的夜警型社会にならざるを得ない。前者は他者を信じるが、後者は他者が信用できない。前者は共同体(ゲマインシャフト)意識が高いため、利他的集団行動に強みを発揮する。後者は一族郎党以外を信用できず、防衛本能として利己主義に走り易くなる。
こうした歴史的経緯から大和心と唐心という真逆の精神文化が生まれたのであろう。我らが台湾に抱く親近感は、台湾人が大和心に共感しているか、もしくは理解しているからだろう。徳を植え付ける教育勅語式日本統治時代の教育と反日及び(台湾人の)中国人化教育(「徳」ならぬ中国国民党の「得(自己利益)」になること=中共と根が同じ)しか施さなかった国民党統治の両方を経験し、どちらが好い(台湾人のため)かが身に浸みて分かっているからに他あるまい。
因みに、蔡英文民進党現政権も支持母体の若年層も日本統治時代を知らず、中国国民党の反日・中国人化教育下で育った人々だ。対手が異なるもののGHQ草案の新憲法下、自虐史観に基づく戦後教育を受けた我ら戦後日本人と境遇は似ている。方や染まらず、此方染まってしまったのは何故か? 個人的には「自信(≒自尊心;誇り)」だと思う。自信は「自らを信じる」と綴る。自信がないから他者(他国)に頼る→他力本願の思考に陥る→敵性国家(人物)の術中に嵌る、の悪循環である。大和心の根幹は〝独立不羈″にある。大和心の三要素「知・仁・勇」のうち、戦後日本人が失くした「勇気」は、台湾人に脈々と受け継がれている、と言っても過言ではあるまい。《過ちに気付いて改むるを憚る勿れ》である。「台湾人に学べ」と声を大にして叫びたい。
「教外別伝不立文字(=以心伝心)」は仏教用語だが、そこに宗教的意味などなくとも、心と心で結ばれた絆は、権威・権力などのあらゆる迫害にも抗し得る最強の盾となり剣となるであろう。人情(他者への思い遣り)は、法規範・倫理道徳などの義理(物事の正しい道筋)と同格の人道(「人権」ではない)に即した感情なのだから。「歴史」は科学的合理主義(理性・理窟)の産物でなければ、神が織り成したものでもない。失敗や錯誤を繰り返す不完全な人間所業の集大成だから、理窟で考えても詮無きことである。心眼に映し出された姿こそが「真実の歴史」ではなかろうか。
コメント