武漢肺炎の渦中にある国際社会にあって、台湾(「中華民国」ではない)の存在感が増している。
終戦(1945年)直後の混乱期を知らない人に、「中国」と「台湾」の関係は解り難かろう。このドサクサで火事場泥棒的悪事を働いたのが”特亜三国(中国、分断前の南北朝鮮)”だ。終戦までの台湾も朝鮮も、日本領であった。したがい、台湾人、朝鮮人ともに国籍上は、「日本人」だった。ゆゑに戦後の一時期、日本人でなくなった在日朝鮮人(南側出身者をも「韓国人」とは呼ばなかった)、在日台湾人を暫定的に国籍未定の「第三国人」と呼んでいた。我が社にもその名残が存在した1980年代ごろまで、契約者離日後の契約は無効とする「第三国人念書」というのがあった。
朝鮮が日本から”独立”する(日韓併合前に戻る)のは自然の流れだが、そうはならなかった。金日成(北;1948年建国)と李承晩(南;1948年米国軍政から独立)の政治的思惑が対立して朝鮮戦争(当時は「朝鮮動乱」)が勃発する(1950年)。南支援の国連(UN)軍や北支援の共産中国(国連未承認)軍も入り乱れて朝鮮半島の内乱となった。1953年休戦成立後、現在に至るまで戦争は事実上終結していない。なお、国際連盟(UL)を脱退していた当時のGHQ占領支配下の日本も、国際連合(UN)には未加入だった。
日本軍武装解除の名目で、表向きは国連から派遣された中国国民党軍が、台湾を一方的に占領した(1945年)。日本が領有権を放棄した(させられた)後の台湾の帰属先国或いは独立かの選択は、台湾住民自身が決めるのが第一義だったが、その前に蒋介石率いる中国国民党(つまり、当事者ではない中国人)に国家自体を丸ごと盗まれてしまったわけである。大陸を追われた蒋介石が台湾に逃れた後も、中国(戦前の「支那」)の正統政府『中華民国』を名乗ったため、話がややこしくなる。そんなわけで、自分の子供時分(~昭和30年代)の地図では、大陸が「中共(共産党中国政府の略)」、台湾は「国府(国民党中国政府の略)」となっていた。その頃の国連は、「国府(つまり『中華民国』)」を中国代表政府として承認していた。
国際情勢が一変したのは、1971年「中共」の国連加盟である。世界最大の人口を有する支那大陸巨大市場に目が眩み、米国・日本・欧州など西側諸国が「国府」を見限って「中共」承認に寝返ったのだ。今回の武漢肺炎の災厄を機に、この決議(中共承認国府追放)が間違いであったと気付きはじめ、ウイルス封じ込めに実績を上げる「台湾」の存在に世界の耳目が集まっている。
大陸反攻(?)の狼煙を上げる蔡英文台湾政権の戦略が興味深い。
【台湾CH Vol.325】 中国の嘘を暴く!
チャンネル桜 2020年4月25日配信
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