小学校の教科書から「漢江の奇跡」を削除……
韓国の歴史とは「道徳教育」である
8/26(月) 5:30配信/文春オンライン
~前略~ なぜ日韓の歴史をめぐる議論は噛みあわないのか。その背景には何があるのか。そこで「文藝春秋」編集部では、朝鮮半島研究を専門とする神戸大学の木村幹教授と、韓国出身のジャーナリスト崔碩栄氏の対談を企画。「韓国における歴史とは何か?」というテーマで語り合ってもらった。
「事実にかなった歴史」ではなく「理にかなった歴史」
印象的だったのは、対談中、木村教授が次のような指摘をしていたことだ。
「韓国語の『正しい歴史(オルバルン・ヨクサ)』という言葉は、『事実にかなった歴史』という意味ではなく、『理にかなった歴史』『あるべき歴史』という意味で使われます」
その上で、木村教授はこのようにも語った。
「文在寅政権の歴史観において何よりも重要なのは、「否定したい歴史」の方です。彼らはその否定の上に別の歴史を建てようとするので、どこまで行ってもそこにフィクション的要素が入ってきてしまう。
ただ、どのような人々を中心に据えて歴史を語るべきか、という争いをするのは、進歩派だけでなく、保守派も同じ。苦難に満ちた朝鮮半島の近現代史をいかに構成するのかは、彼らにとって共通の問題なのです」
では、文在寅政権にとっての「否定したい歴史」とは具体的には何なのか。
韓国は歴史を善悪二元論で語ってしまう
それは、言うなれば「保守派の歴史」である。具体的には、1948年に大韓民国を樹立した李承晩政権、そして1963年に軍事独裁政権を樹立した朴正煕政権だ。
実際、文在寅政権は、こうした歴史の“見直し”を始めている。
木村 実は今年、小学校の教科書から「漢江の奇跡」という文言が消えました。この言葉に象徴されるように、韓国の経済成長が一気に進んだのは朴正煕時代です。この時代を否定することは韓国の近代化そのものを否定することになりかねない。文在寅政権をはじめ左派は、そこをどう処理するのか。相当、強引な作業になるでしょう。
崔 軍事独裁政権を敷いた朴正煕にマイナス面があることは否めません。しかし、一方でプラス面だってある。「漢江の奇跡」は、否定できない歴史的事実で、これまで多くの韓国人も誇りに思ってきました。左派がプラス面を認めずに朴正煕時代を全否定するのは、非常にバランスが悪いと思います。
木村 歴史を善悪二元論で語ってしまうのが韓国の特徴ですね。
崔 韓国では「歴史」も「道徳」なんです。実際、「社会科」は「道徳」と同じグループの科目で、歴史を学ぶ意義は、国民全体で「民族主義の重要性」を確認することなんです。そのためには教科書で良い奴と悪い奴をはっきり区別して描いたほうが分かりやすい。だから、人物の評価軸も「善か悪か」になってしまう。~後略~
記者が書いたと思われる前置と後書は、対談とは無関係かつ的外れなので省略した。前稿で書いた「歴史認識」につき、我が持論とは切り口が異なるものの、事実に反したフィクション(虚構・捏造・歪曲)の歴史観という点では一致して興味深い対談である。
なるほどねえ、「歴史=道徳」ですか、分かる気がするなあ。しかし、裏を返せば、ウリナラ(オラが国)は「不道徳な歴史」でございます、と自白しているようなもの。朝鮮半島の歴史そのものが”不道徳の極み”でしたからねえ。自らのレゾンデートル(Raison d'être;存在意義)を否定しかねない愚行(愚考?)、と言わずして何と言おう。
日韓併合時代の「慰安婦」にせよ「徴用工」にせよ、内地人と同様の待遇だったのが歴史的事実。善悪論で言っても、悪いのはカネ目当てに群がり、甘言を弄して連れ去った朝鮮人女衒であり口入れ業者ら(つまり、彼等の同胞)であって、日本人に係る不届き者が皆無だったとは言わないまでも、我国(大日本帝国)が国家的責任を負うべき事案ではない。
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